札幌大学教授 本田優子さんインタビュー
北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作し2023年11月23日から公開しています。MouLa HOKKAIDOでは、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回は、札幌大学にてアイヌ文化の担い手を育成している本田優子教授に日頃の取り組みについて詳しくお話を聞いてきました。
アイヌ文化との出会い
編集部
本日はよろしくお願いします。
早速ですが、金沢出身の本田先生が、なぜアイヌ文化に興味を持ったのか?今日はその辺りからお伺いできればと思います。
本田
大学1年生の時に、アイヌ民族でアイヌ文化研究者の故萱野茂さんの書籍を読み、アイヌ語が消えそうになっていると知りました。自分たちの言葉を奪われてしまう人たちの気持ちを考えるようになったのがアイヌ文化に興味が湧いたきっかけかもしれません。
編集部
それはとても大きなテーマですね。もう少し詳しくその時の心情を聞かせてください。
本田
幼少の頃は祖母の影響もあって金沢弁を喋っていました。しかし高校生になると、休み時間に金沢弁を話していた同級生たちが、授業開始のチャイムが鳴ると標準語に切り替わる。その事実にとても違和感を覚えました。国語の授業中に、先生に金沢弁で話しかけてみたら「お前、馬鹿にしているのか」といわれ、方言はバカにする言葉なのかと思い大変ショックを受けたことがあります。
編集部
標準語は権威のある言葉で、方言はバカにした言葉だと感じたのですね。
本田
それ以来、そのことがトラウマとしてずっと残っていました。大学1年生の時に萱野先生の本と出会い、本州以南の人は近現代化の過程で自らの意思で方言を捨てたが、アイヌの人たちは全く望まないのに同化政策により自分たちの言葉を取り上げられたわけです。自分の過去の体験とも重なり、当時のアイヌの人々はどのような気持ちでその事実と向き合っていたのだろうか?と考えるようになりました。
編集部
それを機にアイヌ文化について学び始めたのですか?
本田
実はそうでもなくて。笑
大学3年生の時に一度退学をして東京に出たことがあります。
編集部
え?そうなんですね。それは意外な展開。
本田
1年半後に改めて学びの大切さに気づき北海道大学に復学をしました。卒論は「開拓使のアイヌ政策」だったのですが、それを評価していただいたこともあり研究者を志したのですが大学院の試験に専門外の科目で落ちてしまって。
編集部
ここまでのお話を伺う限りジェットコースターのような人生ですね。笑
本田
ほんと、そうですね。笑 自分では大学院に落ちるとは思っていなかったので、これからどうしようかと途方に暮れました。しかしいつまでも落ち込んではいられないので、これはアイヌについて学ぶ時間をもらったんだ!と、日付が変わる頃には考え方を切り替え、朝までかかって萱野先生に手紙を書き弟子入りをお願いしました。
編集部
やはり、ジェットコースター的人生!笑
その発想の転換や、行動力は素晴らしいですね。ちなみに二風谷には何年くらい住んでいたのですか?
本田
最初は1年間の約束だったのですが、結果的に11年間住んでいました。
編集部
11年!?ですか。すごい。アイヌ文化について様々な学びがあったと思うのですが、印象に残っている萱野先生の言葉はありますか?
本田
2つあります。ひとつは、二風谷に居候した最初の夜。萱野先生と奥さまと私の3人で乾杯をしたのですが、その時に萱野先生が「あんたはこの村では少数民族だから大切にしてあげる。」と言われました。その言葉が嬉しくて忘れられません。今でこそ、マイノリティが尊重される時代ですが、当時はあまり言われていない時代でしたからその言葉に心奪われました。
本田
2つ目は「この家で暮らしていくための一番大切なルール」を告げられたのです。冷蔵庫のドアはいつでも好きな時に開けて、好きな物を食べなさい。鍋のフタも中に開けて、中の物を食べなさい、それがうちで暮らしていくための一番大切なルールだ。そう言われました。
編集部
その言葉にはどのような意図が含まれているのですか?
本田
後からわかったのですが、アイヌ文化では人に物を分けることを惜しむ人間はとても軽蔑されます。人と食べ物を分かち合うことはものすごく大切なことなのです。金田一先生の全集の中に「けちんぼう物語」という面白い話があって、隣の人や村人に食べ物を分けるのが少しでも嫌だと心の中で思った人間が、もの凄く罰せられるという物語です。
編集部
心の中で思っているだけでもダメなのですか?
本田
実際にケチをしていなくても、思っただけで駄目。要するにアイヌ社会では食べ物を人に与えるのことを惜しむのは、人として凄く恥ずかしいこととされているのです。アイヌ語に「イペウナラ」という、人に食べ物を分け与えることを惜しむという意味の単語まであるくらいです。そのような大切な価値観、倫理観を萱野先生は私に教えてくださったのです。
編集部
アイヌ社会では、平等が原則になっているということですね。
本田
アイヌに限らず先住民族の社会では、誰か一人のところに富が集中することを避けようとする力が働くということでしょうね。人はDNAの中に、食べ物を分かち合うことが良いことであり、善であるという価値観が刻まれているという話を聞いたことがあります。何故かというと、人間は集団で生きる動物なので、例え誰か一人が食べ物を独占して生き残ったとしても集団として生き残らなければ結果的に死んでしまう。
編集部
人間の生き残りの戦略がDNAで受け継がれているのですね。
本田
先住民族社会では、ひとりの人に富が集中しないようなシステムが作られている場合すらあります。それはとても素晴らしいことだと思います。しかしそのような社会は現在「富を集中させることができなかった遅れた社会」とか「資本主義社会に進めなかった原始的な社会」と見られがちです。
編集部
遅れているどころか、一歩も、二歩も先を行く未来的な社会ですよね。
本田
最も人間として大切なことを守ろうとしてきた社会が、なぜ遅れていると言われなければならないのか。私たちはどこかで道を間違ったのかもしれません。昨今の地球環境の問題なども考えると、私たちは今後どこかでシフトチェンジが必要だと思います。その時に、人間的であることとは?、この地球で人間はどう生きるべきか?など、アイヌ文化がそれら現代の課題を紐解くための重要な鍵を握っていると思います。
編集部
それを二風谷に居候した初めての夜に、萱野先生は教えてくださったのですね。
本田
そうなんです。でも私は鈍い人間なので、その本当の意味は萱野先生がお亡くなりになった後にようやく気づくことができました。二風谷最初の日に、先生はこんな大切なことを教えてくださっていたのかと今更ながら感謝をしています。
編集部
その他、二風谷の暮らしを経験してどのような気づきがありましたか?
本田
アイヌ文化を伝承していくためには、教育環境を整えることが重要だと感じました。
編集部
教育環境とは具体的にどのようなことですか?
本田
アイヌ民族は差別が大きな要因となり、経済的に苦しい状況に追いやられてきました。そのようなアイヌの若者たちが大学に進学する機会がもっと増えて、卒業後の就職も確保できる。そして高等教育機関においてもアイヌ文化を学ぶ場が必要だと感じました。
編集部
まさに札幌大学での現在の取組みにつながる原体験がそこにあったのですね。
二風谷を出てすぐに札幌大学に勤められたのですか?
本田
二風谷を離れた後は札幌で非常勤の学芸員や大学の非常勤講師をやりながら10年近く暮らしていました。札幌大学に職を得たのはその後です。2005年に札幌大学で、アイヌ語・アイヌ文化専門の教員を募集していたので、その時に札幌大学文化学部助教授として採用されました。
編集部
札幌大学で勤め始めたと同時にウレㇱパプロジェクトを立ち上げたのですか?
本田
2009年に学部長に選ばれたのですが、これはアイヌの若者に高等教育の場をつくるチャンスだと思い、同年、ウレㇱパプロジェクトの構想を学内に提案して、2010年からスタートしました。
ウレㇱパプロジェクトの活動内容について
編集部
ウレㇱパプロジェクトの活動内容について教えてください。
本田
ウレㇱパプロジェクトとは2010年度に札幌大学で開始したプロジェクトです。ウレㇱパというのはアイヌ語で「育て合う」という意味です。ウレㇱパプロジェクトには「ウレㇱパ奨学生制度」、「ウレㇱパ・カンパニー制度」、「ウレㇱパ・ムーブメント」の3つの柱があります。ウレㇱパ奨学生制度とは、アイヌの若者たちに奨学金を給付することで、大学進学の道を拓くという考えから作った制度です。これまでほとんど学習の機会がなかったアイヌ史、アイヌ語など、アイヌの若者たちに自民族文化の教育を保障したい。そのことによって次の時代を担うリーダーを養成したいという大きな目的もあります。
編集部
アイヌの若者たちにとって、自分たちのルーツや言葉を学ぶことは文化伝承には必要ですよね。ウレㇱパクラブでは具体的にどのような活動をされているのですか?
本田
基本は月曜日と木曜日の放課後に活動しています。アイヌに関する専門知識を習得するためにウレㇱパ奨学生は特別カリキュラムを履修しなければいけないので、これだけでもなかなかたいへんだと思います。
編集部
ウレㇱパ・カンパニー制度についても教えてください。
本田
アイヌ民族は差別を受けたり関わりをタブー視されることが多く就職差別もありました。しかし人権意識が高まった現在、アイヌであることを理由に採用されないなんておかしい。すでに社会はそういう段階は脱しているはずだと思い、志の高い企業に呼び掛けをして一緒に学生を育てていただこうと考えこのカンパニー制度を立ち上げました。
編集部
学びの場を作るだけではなく、その先の「就職」までを視野に入れて計画をされていたのですね。それはとても重要なことですよね。「入口」と「出口」が保障されていると学生も安心して学べますね。
本田
この制度では、中心的な企業を「ウレㇱパ・カンパニー」と呼びます。ウレㇱパ・カンパニーは大きく3つに分かれていて、ウレㇱパ・カンパニーの他に「ポロ・カンパニー」と「ポン・カンパニー」があります。アイヌ語でポロは「大きい」ポンは「小さい」という意味でおかげさまで現在あわせて約50社が、カンパニーとしてウレㇱパクラブの活動を支えてくださっています。いずれも学生の作る会報に企業名を載せさせていただくことになっています。
編集部
ウレㇱパ・ムーブメントはどのような活動内容になるでしょうか?
本田
ウレㇱパ・プロジェクトの主体はあくまでもウレㇱパ奨学生、つまりアイヌにルーツを持っている学生です。ウレㇱパ奨学生たちが、アイヌ文化を学び、堂々と生きていくことを願ってこのプロジェクトは創設されました。奨学生たちは様々な悩みを抱え、困難に直面しながらもウレㇱパクラブを担ってきました。けれどもウレㇱパクラブのメンバーはウレㇱパ奨学生だけではありません。アイヌにルーツを持たない一般学生や留学生なども含まれています。つまり学内にごく普通にアイヌの学生がいて、様々なコースに進学していろいろなゼミで学ぶ。そうすると学内でアイヌ民族の存在が日常化します。そこで初めて現代社会を共に生きる仲間としてのパートナーシップが築かれると思います。いわば多文化共生のコミュニティモデルを学内に作って、それを社会に向かって発信していくというのが、ウレシパ・ムーブメントです。
社会で活躍できる人材を育てる
編集部
今年で14年目を迎えるウレㇱパクラブですが、今までいろんなことがあったと思うのですが、その中で印象深い取り組みはどのようなものがありますか。
本田
第1期の学生が3年生になったときに「ウレㇱパツアー」をやりました。支えてくださっている企業さんや会員さんと一緒にアイヌ文化を体験するツアーです。第一回は旭山動物園に行きました。動物たちの前で、学生たちがそのアイヌ語、アイヌ文化的利用、物語などについて解説したのですがこれがとても好評でした。例えば熊を例にしてアイヌ文化ではどのように熊と向き合ってきたかを説明しました。
編集部
それは面白い!興味深く話を聞くことができるし、得た情報も記憶として定着しやすくなりますね。
本田
これまでアイヌ文化は北海道観光の彩りの一つ、あるいは刺身のつまのような扱いでしかなかった。でも、最初から最後までアイヌ文化を堪能するツアーがいかに楽しくて、いかに有意義なものであるかを会員の皆様に体験してもらいたい。それが狙いのツアーとして企画しました。事前準備は大変でしたけど、とても良い企画だったと思います。宿泊は、ウレㇱパ・カンパニーさんのホテルを利用させてもらったので、初めての取り組みということもあり、豪華な蟹などもたくさんサービスしていただき、参加者は皆大喜びでした。笑
編集部
お話を聞いているだけでもとっても楽しそうなツアーであることが手に取るようにわかります。
本田
ウレㇱパクラブ設立当初は、プロジェクトとして失敗は許されないという責任感があり、私もそうですが学生たちも皆ピリピリした緊張感の中、厳しいスケジュールをこなしながら取り組んでいました。ウレㇱパツアーが実現できたのは、学生たちの気合と頑張りがあったからだと思います。
編集部
和人の学生も増えた今、何か変化はありますか?
本田
最近では『ゴールデンカムイ』もそうですし、アイヌ文化に興味が集まっていてとても喜ばしいことなのですが、一方でアイヌ民族の重たい歴史や差別問題について理解していない学生も存在しているので設立当初の緊張感は薄まっているような気もします。解決すべき点ではありますが、一面ではそれも良いことだと私は思っています。
編集部
和人の学生も含めて、ウレㇱパクラブに興味を持って参加してくれる人が増えるとアイヌ文化全体の認知も広がりますよね。
本田
私はいつも「裾野が広くないと、山は高くならない」と思っています。広がること自体はとても良いことだと思っています。
編集部
今後のウレㇱパクラブの役割としてはどのようなことが挙げられますか。
本田
ウレㇱパクラブはこれかの北海道に必要な人材を世の中に「送り出すための組織」だと位置付けています。例えば、現在ウポポイや、平取町のアイヌ文化振興公社などで活躍しているウレㇱパクラブの卒業生はたくさんいます。このように社会で活躍してくれる卒業生をたくさん送り出すことで、これからアイヌ文化のコアな部分を担っていければと考えています。
これからの活動について
編集部
ウレㇱパクラブの活動で、大切にしていることはありますか?
本田
今後はますます和人の学生の役割が大きくなると思います。どうしてもアイヌの学生コミュニティのイメージが先行するため、和人の学生は、自分がここにいて良いのだろうか?どうして自分はこの場にいるんだろう?と悩みやすい傾向があります。
私も二風谷にいた時に同じ悩みを抱えたことがあるのでその気持ちはよくわかります。
編集部
確かに、その和人の学生の気持ちはお察しできます。
本田
しかしこれからのアイヌ民族理解のためには、和人の学生の存在は必要不可欠です。なぜかというと、例えばウレㇱパクラブでは、当然ですがアイヌ民族か否かは関係なくみんな一緒に同じ活動をしています。でも奨学金の対象はアイヌの学生だけです。
編集部
同じことをやっているのになぜアイヌの学生だけが優遇されるのだろう?という思いも出てきますね。
本田
そうですね、そのようなことも相まって、自分はアイヌではないし、そもそもこの場所にいて良いのか?など色々悩み始めます。しかし、逆をいうとそのような悩みを解決しながら、みんなと一緒に活動を続ける和人の学生はこれからの北海道には必要な人材になると思います。
編集部
ウレㇱパクラブに限らず、現在のアイヌ文化伝承活動のシーンでもアイヌ民族だけが優遇されていると思われるケースはありますね。
本田
でも、ひとりでも多くの人がアイヌ文化について知る機会が増えたなら、アイヌ文化が北海道の価値であることがご理解いただけると思います。アイヌ文化を学ぶことで、先ほどお伝えした萱野先生から教わったアイヌ文化の素晴らしさに対して、自然とリスペクトの気持ちも湧くし、アイヌ文化はこれからの北海道の発展に必要な鍵を握っていることにもに気がついていただけると思います。
編集部
偏見や間違った解釈による「壁」を壊して未来へ突き進むためには、ウレㇱパクラブの和人の学生たちの存在は重要なのですね。
本田
ウレㇱパ奨学生はもちろん、今のウレㇱパクラブの学生たちはアイヌ文化の価値を身体感覚として身につけいます。そのような若者たちが北海道の未来を作っていくと思っています。
編集部
先生が常々おっしゃっている「北海道に必要な人材」を育てるとは、まさにそのようなことだったのですね。
本田
今後日本のアイヌ政策が世界の先住民族の政策に匹敵するくらいに発展することを願っています。そのためにはアイヌ民族に対する理解をもっと深めていく必要はありますね。
映画「カムイのうた」について
編集部
東川町で製作した映画「カムイのうた」は知里幸恵さんをモデルにした作品なのですが、映画という手段でアイヌ文化の素晴らしさを伝えることに期待されることはありますか?
本田
映画はとても影響力があると思います。語るだけでは伝わらないことは多々ありますからね。是非たくさんの人に見てもらいたいですね。それと同時に思うのは、アイヌの俳優がもっと育って欲しいと思いました。ハリウッドでも先住民をモデルにした映画を作る際に、先住民ではない俳優が出演する時代が続いていましたが、最近では先住民の俳優が演じることが主流になりました。今回の「カムイのうた」も理想としてはアイヌの俳優で作られていると良かったと思います、しかし現状として、アイヌの俳優が育っていないわけですから、それが実現できないのも今は仕方ないことですよね。
編集部
そのような声は実際に上がっていますし、そうなると本当に理想的だと思います。
アイヌの俳優を育てる養成所などがあると良いですよね。
本田
実は以前ウレㇱパクラブで活動していて、札幌市の「トゥㇺシ」というショートムービーに主役で出演した学生がいました。私も映画の監修をしたのですが、当時とても忙しかったこともあり当初はお断りするつもりだったのですが、主役をアイヌ民族からキャスティングすることを条件としてお受けしました。
編集部
その動画を拝見しましたが、主役の女性以外にもたくさんアイヌ民族の方が出演されていましたね。このような取り組みが増えるとアイヌ民族からもたくさん素晴らしい俳優が出てくると思います。
編集部
最後に先生のこれからの夢や目標ってありますか?
本田
海外の先住民族のように、日本でもアイヌ語が話せる人を増やしたいです。それからずっと考えているのは、アイヌ文化で生計を立てたいと考えている若者たちが自分たちでビジネスを立ち上げ富を蓄えることができる社会の実現を目指しています。
編集部
アイヌ民族に限らず自分たちでビジネスを起こせるスキルはこれからの時代には必要だと思います。
本田
現在ウレㇱパクラブメンバーのうち希望者は、泊まり込みの合宿もやりながら学生ガイドのトレーニングをし、実際にウポポイでガイドをやっています。最近コロナも落ち着いてきたのでガイドの需要も高まっていますし、この流れから卒業後にプロガイドとして仕事に就けると理想的です。
編集部
学校で学んだことがガイドの仕事として役立つと学生も嬉しいですよね。
本田
ガイド養成をやってみてわかったことは、インプットだけではなく、誰かに教える、伝えるという「アウトプット」があると、学びの姿勢も自ずと積極的なります。
編集部
お金をいただくと思うと気合い入りますよね。笑
本田
もうひとつ目標があります。私は、アイヌ文化は森の文化であり、木の文化だと思っているのですが、現在のウレㇱパクラブは自然との関わりが薄いので、もっと森に親しむ取組みを実践したいです。最近では当別町さんの町有林をお借りしてキハダの木を植えています。アイヌの食文化ではキハダの実を香辛料として使うのですが、自然の中にいるとリアルなアイヌ文化が体験できるのでそのような機会をもっと増やしていきたいと思います。
編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。