アイヌ民族デザイナー貝澤珠美さんインタビュー
北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作しています。MouLa HOKKAIDOでは、2023年秋の公開に先駆け、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回はアイヌ民族デザイナーとして札幌を中心に世界にも活躍の場を広げる貝澤珠美さんに日頃の活動や今回の映画についてお話を聞いてきました。
改めて気がついたアイヌ文化の魅力
編集部
本日はよろしくお願いします。貝澤さんは平取町の二風谷(にぶたに)出身とのことですが子供の頃はどのように過ごしていたのですか?
貝澤
二風谷ってアイヌ語で「ニプタイ」と言って、森や林という意味なのですが、まさに山や木々に囲まれた大自然の中を駆け回っているような子供でした。高校卒業するまでは二風谷に住んでおり、二風谷は人口の約7割くらいにアイヌ民族の血が流れていると言われるくらいアイヌ文化に触れる機会はたくさんあったのですが、私はまったく関心が持てずにごく普通の生活をしていました。
編集部
子供の頃はアイヌ文化にはあまり触れずに過ごしていたのですね。
貝澤
私が小学生の頃に、萱野茂(元参議院議員)さんが二風谷でアイヌ語教室を始められて、私も一期生として参加しました。その教室では座学でアイヌ語を学ぶのはもちろんですが、みんなで裏山に入って昔のアイヌの遊びを教わりながらアイヌ語も覚えるような時間もあったので、その教室ではアイヌ文化にたくさん触れていました。残念ながら今ではアイヌ語はかなり忘れてしまいましたが、踊りは体が覚えているので今でもすぐに踊れます。笑
編集部
高校卒業後はどのような進路を歩んだのですか?
貝澤
高校時代はやりたいことが明確になくて、今はデザインの仕事をやっていますが、当時からデザインを志していたわけでもないんですよ。きっかけとしては、母が美大出身ということもあり、私が子供の頃にたまに自宅で油彩を描いている姿を見ていたので多少その影響はあるかもしれません。高校卒業する頃に、母に進路相談をしたところ、デザインを学ぶなら平面よりは立体が良いと勧められたこともあり、札幌のデザイン学校のインテリア科に進学しました。
編集部
子供の頃はアイヌ文化にあまり興味関心がなかった貝澤さんが、アイヌ文化の魅力に気づいたきっかけは何かあったのでしょうか?
貝澤
進学のために札幌に出てきてからですね。札幌にきて感じたのは「アイヌがいない。」ということ。札幌と二風谷は車で約2時間くらいの距離で陸続きだし、こんなに近い札幌で、町を歩いてもアイヌのことを知らない人がたくさんいたことに当時はとても驚きました。当時の私と同世代の若者たちはアイヌのことを全く知らない人も多かったです。
編集部
貝澤さんがアイヌ民族であることを伝えたとき、お友達はどのような反応でしたか?
貝澤
友達からは「アイヌ民族って何なの?」という根本的な質問をされることも多かったです。先ほどお話ししたように、私は子供の頃からちゃんとアイヌ文化について学んでこなかったですし、逆に思春期の頃は遠ざけて暮らしていたこともあり、友達の質問に正確に答えることができませんでした。自分はアイヌ民族なのに、アイヌの質問に答えられないことが、次第に恥ずかしく感じるようにもなりました。
編集部
生活環境が変わり、アイヌ民族に対して客観的な視点が生まれたのことが、改めてアイヌ文化に向き合うきっかけになったかもしれないですね。
貝澤
確かにそうですね。そのような気づきがあって、改めてアイヌ文化の魅力と真剣に向き合うようになったと思います。
アイヌ文化×デザインの可能性
編集部
今のお仕事のように、アイヌ文化とデザインを融合させるアイデアはどのような時に生まれたのでしょうか?
貝澤
ネイティブアメリカンや、ネパール、インドなどの民芸品って、最近ではいろんな雑貨屋さんで扱っていますよね。そのようなカルチャーが身近にあるからかもしれませんが、私の友達にも先住民族大好き!という人たちがたくさんいて「アイヌってかっこいいよね」と言われることも多々ありました。でも私が二風谷にいた頃の、アイヌ民族に対する印象としては「嫌われやすい存在」だと思っていたのでこの感覚の違いには驚きましたし、同時にアイヌ文化に可能性を感じた瞬間でもありました。
編集部
私も周囲のデザイナーの友達と話しをしていると、アイヌ文様に興味を持っている人が多いのでその感覚はとてもよくわかります。
貝澤
デザインは個性を競う世界でもあるので、デザイン学校に通っている時には自分にしかできないデザインってなんだろう?と考えるようにもなりました。
編集部
世の中にはいろんなデザインが溢れているので、その中で抜き出る方法を考えるのは必然ですよね。貝澤さんはどのような方向性を見い出したのですか?
貝澤
自分のオリジナリティを模索する中で、ある時「アイヌ文様って独特だな」と気づいたのです。アイヌ文様は誰が見ても一目瞭然アイヌ文様だと理解できます。その独創性はデザインの起点になるのでは?と考えるようになりました。
編集部
なるほど!そうやって、デザインとアイヌ文化が自然とシンクロし始めたのですね!それはとても興味深いお話です!今では様々なジャンルでアイヌ文様をモチーフにしたデザインを見にするようになりましたが当時はまだまだ事例としては少なかったと思うのでその気づきは大きな発見でしたね。
貝澤
子供の頃はアイヌ文化を遠ざけて暮らしていたのに、気がついたらデザインの学校で、アイヌ文様が自分の表現の個性になることに気がついたのですから、運命的なものを感じざるを得ないですよね。その時に、私は、自分の中にアイヌの血が流れていることはすごくラッキーなことだと思いました。これは大きな転機でしたね。
編集部
具体的にはアイヌ文様をどのようにデザインに取り込んだのですか?
貝澤
学生時代はインテリアデザインを学んでいたこともあり、アイヌ文様をそのまま見せるのではなく、日常生活に溶け込むようなデザインを作りたいと考えました。家具とかカーテンとか、クロスなどインテリアの対象となるプロダクトにアイヌ文様を取り入れることで、素敵な空間になるのでは?それを目指してみようと思うようになりました。当時はまだ学生だったのでデザインしたものを商品化することはできませんでしたが、デザインのパターンはたくさん作っていたと思います。
伝統を尊重することで見える新しいスタイル
編集部
デザイン学校卒業後は内装屋さんに就職されたとのことですが、どのような経緯でデザイナーに転身されたのですか?
貝澤
内装屋さんでは、道内の公共施設、博物館、記念館などの内装に携わっていました。その後、転職することになるのですが転職活動の一環として、職業訓練でアイヌ刺繍を習いに行きました。職業訓練では、刺繍、木彫りなどを習うのですが、アイヌの人しか習いに来ないところだったので、そこで出会ったアイヌのおばあちゃんからアイヌに関わるいろんな話が聞けたことも、今となってはとても貴重な体験だったと思います。刺繍も覚えられたしアイヌ文化についても学ぶことができたので。
編集部
そうやって自然な流れでアイヌ文化についての知見も深まっていったのですね。
貝澤
職業訓練は3ヶ月で終わったのですが、その後に親戚から着物を作って欲しいと頼まれたことがあり、着物を1着作って、さらにまた1着と作る機会が増えて、その時に現在の仕事の着想に辿り着きデザイナーとして起業しました。
編集部
現在はどのようなものをデザインされているのですか?
貝澤
ファッション系だと、刺繍や染めを用いた、洋服、和服、アイヌの衣服、マフラー、スカーフ、ネクタイを作っています。銀製品を中心にアクセサリーも制作しています。私はもともとインテリア出身なので、照明のデザインや、ファブリックパネル(写真に刺繍を施した)作品を作ったり、照明やタペストリーなども作っています。最近では、ホテルや空港ほか様々な場面での演出のお仕事も増えてきています。
編集部
貝澤さんの作品って海外の方からも評価されていると思うのですが、活動の場所として海外も意識されていたのでしょうか?
貝澤
現在新千歳空港に私の作品が展示されているのですが、その作品を見た海外の方から仕事のオファーを頂いたり、作品を通じてすでに海外の方との繋がりができています。そもそも「TAMAMI」ブランドは、世界に向けて私なりの手法でアイヌ文化を発信していきたいと思って立ち上げました。
編集部
貝澤さんがアイヌ文化を発信する際にこだわっていることはありますか?
貝澤
私は今デザインの仕事をしているので、私のフィールドでお話をするなら、例えばアイヌ文様をモチーフに何かをデザインする際には、私の場合、継承すべき部分はもちろん守りながらも、自分の感性も大切にして、オリジナリティを高めて創作活動をしています。それについて「伝統を変えて良いのか?」というご意見を頂いたこともあります。その考え方もとてもよくわかりますし、その意見に反対ではないのですが私としては、どちらもあっても良いのでは?と考えています。
編集部
つまり、伝統を継承すべき活動と、新しい価値観を生み出す活動が共存しているようなイメージですね?
貝澤
そうです。伝統を継承をすることはその活動をやられている方々にお任せして、逆に私は新しいものを創造する活動を続ける。そうすることでアイヌ文化の魅力を多くの人に伝えることができると思います。
もちろん、私も最初はしっかり基礎スキルとして、伝統を学ぶことからスタートしましたが、活動していく中でもっと新しいアイヌ文様のイメージを作ることに意義を感じて今のスタイルに辿りつきました。
デザインで伝えたいこと
編集部
貝澤さんがアイヌ文化とデザインを融合することで新しい価値を生み出す活動を続けているわけですが、その原動力というかモチベーションって何ですか?
貝澤
私は子供の頃に、アイヌの事を「嫌だ、嫌だ」と思って育ちましたが、これからの子供達には同じ思いをさせたくない。だからと言って一方的に「そんなふうに思ったらダメだよ」とか「アイヌを誇りに思いなさい」と伝えても、実際に私がそうだったように、そう簡単にその考え方は変わらない。ではどうやって変えるかというと、やはり現状の固定概念をどこかで打破しなければ何も変わらないのでは?そう考えるに至りました。
編集部
まさに貝澤さんはご自身のデザインでそれを体現していますよね。素晴らしい取り組みだと思います。
貝澤
「TAMAMI」ブランドから発信するデザインがきっかけで、アイヌ文化に少しでも誇りが持てる次の世代が1人でも増えてくれると嬉しいですね。
編集部
今回の映画「カムイのうた」も、特に若い人たちが見たときに、少なからず暮らしの中に潜む様々な「固定概念」に対する新しい気づきや、学びがあるのでは?という内容になっていると思うので、貝澤さんのデザインワークのコンセプトにも近い部分はありますね。
貝澤
デザインも、映画も、理屈抜きで何かを感じられる表現手法だと思いますし、特に映画は、年齢性別、人種も関係なく、いろんな人たちに同時にメッセージを発信できるツールだと思うので、映画に託された関係者の皆様の思いが多くの方に届くのではないかと思います。公開が楽しみですね。
編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。