Vol.03 「函館ぶら探訪」を体験してみた!(後編)
今シーズンの街歩きもそろそろ終わりを迎える10月某日。
中尾さんの取材前に、我々編集部も「函館ぶら探訪」を体験させてもらいました。
当日は見事な秋晴れで街歩きには絶好の日和。期待が高まります。
今回の街歩きルートは、先日行われた「函館ぶら探訪200回記念ルート」に少しアレンジ加えてご用意いただきました。過去に何回か行ったことがある場所でも、中尾さんの話を聞きながら歩いていると、まるで初めてきた時のような発見と驚きの連続でした。
前編に引き続きその時の様子をご案内しますので一緒に歩いる気分でお楽しみください♪
何気ない街の風景にも面白い発見
函館に行く機会があったらぜひ注目して欲しいのが「消火栓」です。函館の消火栓はボティが黄色くて、縦縞があります。こうやってじっくり見てみるとポップなデザインでおしゃれで可愛いですよね。
函館の消火栓は、明治からマンホールを開けてホースを接続する『地下式消火栓』でした。しかし未曽有の昭和9年の函館大火の反省から、欧米の消火栓をモデルにした改良に取り組みました。
正式には『函館型三方式地上式消火栓』という名称です。名前の通りポンプ車のホースとの接続部が3か所設けけられた高性能なものです。ではなぜ黄色なのか?それは雪が積もっている時や夜間でも見つけやすいことです。さらに視察したアメリカのサンフランシスコの黄色を真似たとの説もあります。ちなみに縦縞は消火栓を補強するためとのこと。消火栓一つとってもおもしろエピソードってあるんですね。中尾さんと一緒に街歩きしなければ絶対消火栓は通り過ぎていたと思います。笑
国道を歩いていると不思議なオブジェを発見。これは「北海道第一歩の地碑」といいます。
北海道開拓のためにやってきた先人たちの偉業を称えるとともに、開道100年を迎えた 1968(昭和43)年、日本中央競馬会(JRA)によって寄贈されました。ここはかつて、多くの来道者が上陸した東浜桟橋(通称:旧桟橋)のたもとにあたります。このオブジェのデザインは、北海道を思い起こさせるヒグマと船のいかりをモチーフにしたそうです。つまりシロクマといっても、正確には「白いヒグマ」というわけです。笑
「金森倉庫」や「ラッキーピエロ」が近くにあるので、ついつい素通りしちゃいそうな場所にありますが、函館発展の起点になった場所だとわかると思わず立ち止まってじっくり観察したくなりますよね。
この辺りには他にも注意して見て欲しいものがあります。それが「上下和洋折衷住宅」です。
1階が和風、2階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅が「上下和洋折衷(擬洋風)」様式といいます。西部地区(函館山のふもと)には、そんな函館独特の和洋折衷住宅が数多く見られます。
そもそもなぜ、函館に和洋折衷住宅が多いのかというと、日本を代表する貿易港としていち早く世界に門戸を開いた函館には、アメリカ、ロシア、イギリスなどの領事館が相次いで開設され、外国人がたくさん住み始めます。外国人と触れ合う機会が増える中で自然と西洋の最先端の建築技術を吸収したようです。
函館に住んでいる外国商人の住宅を建てるようになったのですが、外国商人たちは大きなマーケットを求めて、函館を去り横浜や神戸に向かいました。そこでせっかく習得した洋風建築技術をもっと活かしたい!ということでお役所主導のもと、明治20年代後半から昭和初めまで、商店に限らず庶民の町家にも、洋風を取り入れた「上下和洋折衷住宅」が広まりました。
ただし、当時の大工の洋風建築技術は決して高くはなかったため基本的な構造は「和風」になっているそうです。2階の洋風部分も実は外観のみで、内部は欄間や床の間そして畳敷きと純和風仕様で、函館人の見えっ張りな住宅とも揶揄されていた時代もあったようです。笑
大正ロマンを楽しめる古き良き町並み
いよいよ街歩きもエンディグへ。古き良き時代を感じさせる町並みを紹介してもらいました。このエリアは目立った観光スポットがあるわけではないので、わざわざ立ち止まったり、散策することはなかったのですが、実際に説明を聞きながら歩いてみると、非常に情緒的で素敵なエリアでした。
まず最初に説明してもらったのが「銀座通り」です。
十字街の電停前から津軽海峡方面に向かって約200mの通りには、鉄筋コンクリート造りや鉄筋ブロック造りなどの耐火建築が、今も多く残されています。25メートルの道幅は防火線の役割も担っていました。当時は今より建築技術が低かったので、一度火事になると入り口・窓と壁とのわずかな隙間から建物内部に火が回り建物が燃えていたようです。その対策として、なんと隙間に目張りとして味噌を塗る函館独自のやり方で火の周りを防いだ建物が数多く存在しました。
味噌って!?すごい発想ですね笑 ちなみに通り沿いに立っているこちらの建物は味噌を塗ったことで火が広がらずに建物が残ったようです。すごい!効果抜群です!
本日最後のポイントは、「十字街アーケード通り」です。函館のアーケード通りといえば、函館駅前の大門通りを連想しますが、残念ながら2015年に大門のアーケードは全面撤去され、今残っているのは末広町・十字街に残る古い商店街の一角に架けられた両側数十メートルのアーケードのみ。
十字街アーケード通りは、1959年から末広町の5・7・8番地を中心に、その区画を取り囲むように大規模なアーケードが設置されました。明治から昭和初期頃までは十字街も隆盛を誇っていましたが、時代の流れと共に徐々に衰退し始めたこともあり、商業エリアとして再生を図るための打ち手の一つだったようですが、時代の流れに抗うことはできず徐々に撤去・縮小し、現在に至るようです。
寂しげなアーケード街も、中尾さんの話を聞きながらその場に立ってみると、映画のワンシーンの中にいるような気持ちになりました。なんとも愛おしい時間。良い体験ができました。
「函館ぶら探訪」体験レポート(前編)(後編)いかがでしたでしょうか?一緒に街歩きをしているような感覚で読んでいただけたなら嬉しいです。中尾さんの「函館ぶら探訪」はすでに201回開催されています。MouLa HOKKAIDOでは、過去の記録を遡りなら「函館ぶら探訪」をアーカイブしていこうと思います!こちらのコーナーに不定期で更新していきますので、思い出した時にふらっと立ち寄ってみてください!