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【ありがとう道新ホール】お寄せいただいた「思い出」エピソードをご紹介!

【ありがとう道新ホール】お寄せいただいた「思い出」エピソードをご紹介!

2024年6月末をもって、61年の歴史に幕を閉じる「道新ホール」。
その感謝と惜別の気持ちを込めて実施している『ありがとう道新ホール』企画の一環として、皆様が体験した道新ホールの『思い出』と『一言メッセージ』を募集しました。たくさんのご応募ありがとうございます。
この記事では、皆様からお寄せいただいた「思い出」エピソードの一部をご紹介します!

皆様からお寄せいただいた「思い出」エピソード

お寄せいただいたエピソードの後ろに[ニックネーム]を記載しています。



  • 立川談志師匠が亡くなる前、最後の道新ホールは志らく独演会のゲストでした。辛そうな声のご様子でしたが、これまでの北海道での思い出を40分お話いただき、「お別れに来たんだなあ」と胸が締め付けられました。 [あのころのオチケン]
  • 道新ホールで開催されたイベントで知り合った人と意気投合して、結婚しました!道新ホールは運命の出会いをさせてくれた場所でした。ありがとうございました。 [あやちゃん]
  • 今や、ドームクラスを満杯にする矢沢永吉も、キャロル解散後の札幌公演は道新ホールでした。北海道での原点です。 [アラウンドJAPAN]
  • 福岡県ご出身の歌手 山内惠介さんが、初めて北海道内ライブツアーをスタートされたのが「道新ホール」でした!北海道を第二の故郷と、北海道と深いつながりを大事にされています。カバー曲だけを歌う「惠音楽会」はすぐに満員御礼となる人気で、札幌での開催も、「道新ホール」からのスタートでした!最高潮の盛り上がりで、700席満員のお客さまがウェーブのようにステージに向かって声援を送ったのが懐かしいです! [アロマ]
  • 息子が幼稚園年長のとき、塗り絵大会で金賞受賞しました。会場が道新ホールだったので息子にスーツを着せて賞状と景品を受け取りに行きました。キャラクターと一緒に記念写真を撮ったりビデオを撮ったり楽し思い出です。 [いくちゃん]
  • 高校生の時に、バンドブームがあり色々なバンドのコンサートで道新ホールに行きました。エレベーターでホールまで行く時のもうすぐお目当てのバンドに会えるとワクワクしました。 [いちご]
  • コンサート等で何度も道新ホールに足を運びました。ホールは8階でした。終了時はエレベーターが混雑するので、いつも階段で下りました。ぐるぐるぐるぐる回りながら…。でも、いつの間にかその時間がコンサート等の余韻を噛みしめる大切な時間になっていました。階段を下り、外に出た瞬間、夢から覚めたような気がしたものでした。たくさんの思い出をありがとうございました。 [ウッディー]
  • 道新ホールは舞台との距離が近くて一番前のど真ん中の席が取れた時には、感動して夜も寝られないほどでした。あのオフコースも最初は観客が少なかったそうです。たくさんの思い出をありがとうございます。 [えつこ]
  • 道新ホールは、音響も良いし、歩きやすく、ゆったりしていて、イスも座りやすいので、大好きなホールでした!映画試写会での舞台あいさつの俳優さんも、道新ホールでは、とてもリラックスして、キラキラしているのが印象的でした。 [えみりん]
  • 以前「倉本聰」さんの講演会があり、その時始まる前にギターで「北の国から」の演奏会がありました!その時の演奏者「村田昌史」先生の心に響くステキな演奏が今も心に残っています! [エリーゼ]
  • 母と映画の試写会によく行きました。母はいつもおにぎりとお漬物を用意して階段に並び、パート仕事から帰って犬の散歩をしてからの私を待っていてくれました。階段では犬の話、子どもの話に花が咲き、同じ札幌市内に住んでいても毎日が忙しく、ホールは母とたまに会える楽しい場所でした。元気だった母が突然逝ってから、ホールには足を運ばなくなりましたが、そうですか、ホールもなくなりますか、寂しいです。 [えりこ]
  • 40年位前の話、時効と思ってお許しください。デビューして間もない稲垣潤一さんのライブ。人気がありチケットが取れず、友達と会場近くをウロウロしていたら、あの当時だったから警備も緩かったのでしょうか、なぜだかリハーサルが見えてしまい、遠くからちょっとだけ歌ってドラム叩いてるのを見ることができました。あの時に見た稲垣潤一さんの眩しかった姿が、今でも忘れられません。 [エリン]
  • 40年前、田舎から出てきて札幌に住みました。お芝居を見るのが好きになり道新ホールで色々な演劇と触れ合うこともできました。札幌市内では、偶然エレベーターで俳優さんに会うこともできました。平田満さんと風間杜夫さんに会えて本当にうれしかったです。私の人生に悔いはなく笑顔をいただきました。 [おきんちゃん]
  • 道新ホールにはよく落語を聞きに行った。道新ホールは、落語家の顔が見やすく、声も聞きやすい。しかし、良いところはそれだけではない。関係者と来場者の出入口が同じなのか、落語家の人と同じエスカレーターに乗り合わせたり、落語家の人が帰るために車に乗り込むところと鉢合わせ(出待ち状態)になったことがある。演者とお客さんの距離が近い。だけどトラブルは起きない。そんな道新ホールが好きだった。 [オジョー]
  • 人生最初で最後のモデルをしたステージが道新ホールです。学生時代に他の学部でファションショーのモデルを探していたのですが、条件に当てはまる人がいないとのことで、何故か私に白羽の矢が・・身長158㎝が探していた条件に合ったそうです。客席からの熱視線の中、ウォーキング、そしてターン・・転ばずに任務完了。心臓が口から出たり入ったりドキドキでしたが、写真をみたら、堂々たるもの。若かったなぁ。 [かさこ]
  • ボクシング世界ヘビー級チャンピオンの村田諒太さんが生い立ちからチャンピオンになるまでをお話されとても感動したことが忘れられません。 [かすみそう]
  • 5年前の12月、当時4歳の息子と明治のクリスマス会に当選し、ワクワク楽しいひとときを過ごしました。新聞の広告で知ったクリスマス会のイベント、当選した時は子どもと大喜び!長年、訪れた人たちを優しく温かく包み込む、母のような父のような場所。お別れはとても寂しいけれど、きっとまた新しい出会いもあると信じて。「道新ホール」に、たくさんの感謝を込めて。心に残る思い出を本当にありがとうございました。 [かなたんママ]
  • もう40年以上前ですが、看護学生の頃、先輩の影響で、大塚博堂さんの歌が大好きでした。初めてのコンサートは道新ホールの大塚博堂さんのコンサートで、友人と一緒に行きました。なつかしいです。 [カパちゃん]
  • 当時付き合ってまだ数ヶ月の彼女とデート中、予定も無く寄ったのが道新ホールだった。演っていたのは怒髪天。好きではあったけどワンマンは行った事が無く、彼女はもちろん知らない中で恐る恐る飛び込んだ。最高の演奏で自分はハマり方が深くなり、彼女も気に入ってくれて共通の話題の1つになった。その後結婚式でもその時の曲を使い、武道館にも行き、そして今も一緒に聴いている。本当にありがとう道新ホール。 [かまぼん]
  • 1980年11月に行われたオフコースの伝説のコンサート。ハガキを50枚程送るも全てハズレ。短大の同級生の友人が2枚当たり、1枚譲ってくれました。感動して泣きながら観た記憶があります。 [きつね]
  • 江差に勤務し、追分名人寺島姉妹のファンに。札幌に戻った直後に道新ホールで三姉妹のコンサートがあって駆けつけた。以後、道新ホールは私達の出会いの場所となった。13年後、道新幹線試乗会に招かれ、木古内駅に着いたところ、江差追分が流れてきたが、唄っているのは長女の絵里佳さん。近くで聞いていると彼女のほうから声を掛けてくれ感激。二人で撮った写真は大事にしています。 [清田のしゅうちゃん]
  • 何度もコンサートに来ました。昔は旦那様と。今は介護の仕事で利用者様の付き添いで来る事もありました。思い出たくさんです。 [キラキラたぬき]
  • 約25年前、通っていた専門学校のファッションショーが道新ホールでありました。企画、運営、モデルなどすべてを学生達で作り上げる、一年で最大の学校行事です。当時私はモデルに服を着せるフィッターという係でした。複雑な服や早着替え、地味ですが結構緊張感のあるお仕事で、出番を終えたあとは充実感を味わえます。ショーが終わったあとに生徒全員でステージに上がり、記念撮影をしたことが良い思い出です。 [くしろっこ]
  • 道新ホールありがとう!!私は地方から色んな講座や催事、コンサートなどに行く為、バス停近く、12号線ぞいで分かりやすく、すごく良かったです。長い間、おつかれ様でした。ファイト!! [くっちゃん]
  • ゲーム実況YouTuberのしるこさんのイベント「しるこの部屋」に参加した時、会場で銀テを配ってくれたしるこの部屋スタッフさんの中には、現地の道新ホールのスタッフさんもいらっしゃると聞いて、感謝しかありませんでした。劇団イナダ組TEAM NACS等など沢山の演劇も観てきてその都度友達もできました。本当に長い間ありがとうございました。 [ぐら@北海道産]
  • 毎年、道新ホールで落語を観ています。ロビーの窓から見えるテレビ塔は絶景で、まるでテレビ塔を独占したかのような錯覚にとらわれます。この景色がもう見られなくなるのですね。現実を受け止められません。これからもずっと、道新ホールは私の宝物です。 [ケーコ]
  • 階段に並んで観たかずかずの映画は嬉しく楽しく懐かしいです。 [ケンチャン]
  • 初めて行ったのはみのや雅彦さんのクリスマスコンサートでした。その後は2019年から毎年のようにシークレット歌劇團0931の公演を。去年、ようやく寿席に、が良い思い出に! [こうちゃん(ぐんまちゃん。)]
  • 道新ホールにはコンサートや落語会で何十回と足を運びましたが、一度だけステージに立つ機会がありました。ステージから見える客席の風景が印象に残っています。 [コーヒータイム]
  • 笑いと感動を届けてくれた道新ホールが、61年の歴史に幕を下ろすのは残念です。医薬関連のシンポジウム桂米團治師匠の落語に爆笑したことを、昨日のことのように思い出します。また、出演者の方と同じ空間を共有できたことは、私の大きな財産です。今日まで、たくさんの感動と思い出を残してくれた道新ホールに「ありがとう」の言葉を贈ります。 [コム]
  • 4/28 29 北海道を拠点に活躍しているアーティストNORDのライブに行ってきました。NORDのファンは道外にもたくさんいらしてこの日来たノル友(NORDファンの呼び名)にとっても思い出深い道新ホールになったことと思います。それは設置されていたボードを読んだらわかりましたよ。ありがとう道新ホール! [こゆり]
  • 色々と利用させてもらいました。なかでも同窓会コンサートは、昔懐かしい歌手の方々が、出演していて、童心に返った気分を味和いました。なくなるのは残念ですが、長い間楽しませていただき、ありがとうございます。 [しちさん]
  • 高校生の頃、映画好きの友人と映画の試写会に幾度となく道新ホールを訪れました。未知との遭遇が最も記憶に残ってます。あの場所が無くなるのですね。高校卒業と同時に家族ともども北海道を離れてしまい、札幌のことは遠い思い出として心に刻んでいます。この度道新ホールが無くなるという記事を見て寂しさを感じてひとことコメントさせていただきました。 [じった]
  • 落語家円楽の姿を思い出します。元気だったので、なおさら痛感します。これからも、落語まつり期待しております。 [しもちゃん]
  • 45年程昔の話ですが、当時小樽に住んでいた私は、アリスの弟分と言われたシグナルのファンでした。3月3日のひなまつりコンサートに行きました。道新ホールへ。ある時は、ふきのとうのコンサートへ行く仲間がいないので1人でも電車に乗って行って来たあの時、私にとっては道新ホールは、そんな2つの思い出が有ります。とても懐かしいです。忘れません。道新ホール ありがとう道新ホール [ジュン]
  • 試写券が当たって色々な映画を観せていただきました。特に「明日に向かって撃て!」は最後のシーンが辛すぎて、しばらく席を立てなかった思い出があります。 [すー]
  • 30年前、私は道新文化センターのストレッチング&エアロビクスに通っていました。94年9月道新ホールで行われた、受講生のための発表会に出た事が感慨深く思い出されます。B5サイズのパンフレットに「咲かせましょう じぶん色」と書かれている通り、大きな達成感がありました。 [タムタム]
  • コンサートと言えば、、道新ホール。人生初めて行ったコンサートももちろん道新ホールでした。 [たんちゃん]
  • 岩本勉さんをはじめゲストの方と前半戦のファイターズの戦い方、後半戦の期待をファンと一緒に盛り上がったことが忘れられません。 [ちぢみほうれんそう]
  • わくわくドキドキ♡私の初デートは、道新ホールでのコンサートだった。シンガーソングライター山根康広さんの北海道初LIVE。デビュー曲が大ヒットして、チケットはソールドアウト。座席は最後列だったが、ステージの熱量が伝わってきた。平成5年、私は高校1年生。デートもコンサートも初めてで、少し大人になったような気がした。あれから31年、私たちは家族になり、6月に孫が生まれる。聖地道新ホールは永遠に不滅です [チヒロ]
  • 子供の頃、初めて演劇を道新ホールで観ました。内容は忘れてしまいましたが、テレビや映画とは違う迫力に圧倒されたのを覚えています。大人になってからは映画の試写会で何度か訪れました。日常を忘れて楽しめる場所がなくなってしまうのは寂しいです。 [ちょこ]
  • 初めて道新ホールに行ったのは大好きな「大江千里の初めてのコンサート」でした。仕事おわって特急にとびのって行きました。涙出たなぁー [つんこ]
  • 若かりしころのサザンオールスターズ、桑田さんは道新ホールのピアノの上に上がってやりたい放題 後からめっちゃ怒られたそうです。さすがエンターテイナー桑田佳祐愛してるよ❤️ [てつ]
  • 私の落語との出会いが道新ホールで観た桂米團治襲名披露興行でした。それから道東オホーツクの大空町からワクワクしながら落語を観るために道新ホール通ったなぁ。今ではすっかり落語ファンです。素敵な時間をありがとうございました! [てつくん]
  • 高校生の時友人とみのや雅彦さんのコンサートへ行きました。チケット申し込みはその頃電話だったので短い休み時間を使い、廊下に設置された公衆電話で、騒がしい中聞きとるのが大変でした。その甲斐があったのか(?)席は前の方だったと思います。みのやさんはとても近く!カッコ良く!友人と2人で終了後もとても感動していたのを覚えています。道新ホールさん感動をありがとう!!青春のいちページをありがとう!! [どさんこママさん]
  • 映画の試写会、イベント、寄席に小さなコンサートで何度行ったかわかりません。こじんまりとした雰囲気、さほど大人数が入れない客席がなんとも言えず好きでした。仕事帰りに寄りやすく帰る際も地下鉄大通から近くとても行きやすい場所でした。 [ドラあき]
  • 「スタッフの皆さんありがとう」私はUHB大学に通っています教養講座は午前10時に始まりますがいつもスタッフの方がスクーリンへの画像のチェックとマイクの音声の確認をしてくれています。おかげさまで学生皆安心して講義を受ける事が出来ました。道新ホールの閉館はさびしいかぎりですが良い画像 良い音声を提供していただいた スタッフのみなさんに心からお礼申しあげます。ありがとうございました。 [トランペット]
  • 高校生の時に自分ひとりで高速バスに乗って、イベントのために道新ホールに来たのが、つい昨日のようです。とてもドキドキしたけど楽しかったな。素敵な思い出をどうもありがとうございました。ずっとわすれません。 [ナタデココ]
  • まだ10代で小遣いが少なく、家庭用録画機器やレンタルビデオショップが流行る前の、そんな時代にたくさんの試写会を開いてくれたり、その映画の主演スターを呼んでくれたりして、映画関係の思い出がいっぱいあります。今は関東圏に住んでおりますが最近よく札幌時代の頃思い出します。札幌は再開発だらけであまり変わってほしくない気持ちもあります。ともあれ道新ホールさんありがとうございました。 [にっちゃん]
  • いままでたくさんの情報を発信してくれましたね。鎌田先生のお話がとてもたのしく思い出に残っています。 [にゃたろう]
  • 道新ホールと言えばロックバンドの登竜門的な場所です。デビュー間もないバンドはまずは道新ホールを満杯にして次のホールにステップアップというのが通例でした。こちらも応援にも熱が入ります。でもずっと同じホールでやり続けてくれたバンドもいました。今は俳優としても活躍中の石橋凌さんが在籍したARB。初めて見た中学生の時から解散までずっと見続けてきたバンド。やっぱりこのホールでのライブが最高でした。 [にゃら]
  • 有りがとう道新ホール。シートNO「せー19」お世話になりました。UHB大学に在籍していた十数年間、毎週火曜日午前中道新ホールに通っていました。9時の時計台の鐘を聞いてから、9Fのホールへ。私の指定席の様にしていたシートNO「せー19」が空いているとほっとして座り、10時の開講まで過ごします。他のイベントでもこの「せー19」がお気に入りのシートでした。9時55分頃「UHB大学歌」が流れると気も締まりました。また、聴きたい「UHB大学歌」。 [ネコオバサン]
  • 独身時代は映画の試写会で、子供が生まれてからはクリスマスのイベントで何度もお世話になった会場です。しかも、殆どが抽選で当選した無料招待のイベントばかり。私にとって道新ホールといえば、「幸運のホール」でした! [ねころんろん]
  • とにかくライブです!短大入学を機に札幌に出てきて沢山ライブに行きました。もう何度足を運んだか判りません。子育て中はなかなか行く機会もありませんでしたが、ここ数年でまたライブに行くようになりBLUE ENCOUNTを観たのが一番最近かもしれません。TEAM NACSのお芝居をここで観たのも懐かしい思い出です。最後に天国への階段を観られるのが楽しみです!規模的にも丁度いい大好きなホールでした! [ののん]
  • 学生時代に映画の試写会に応募しまくっていて、その会場になっていることが多く、よく伺っていました。道新ホールで開催されるときは、上映作品からゲストとしてどなたかが来られる率が高めだったことも多く、会場が道新ホールというだけで期待したものでした。道新ホールのスクリーンは、舞台奥側なので、空きがちな最前列の席が実は一番見やすいというのを発見したのも良い思い出です。 [ハジ]
  • 私と道新ホールの思い出は、昨年初めて父親と一緒に桂宮治さんの落語を見に行ったことです。父親は今年69歳になり、いつも家では私の仕事の悩みを聞いてくれ、たまに口論になることもありますがそんな大好きな父親と昨年の11月18日、桂宮治さんの落語を観に行きました。生の落語家さんは面白いこと。隣で笑っている父親を見て、一緒に道新ホールへ行くのは最後だけれどこれからたくさんの恩返しをしたいと思いました。 [はっぴー]
  • 子どもたちとイベントショーを楽しんだ場所がなくなると知り、寂しいです。思い出いっぱい、ありがとう。 [ぱぱちゃん]
  • 多くのアーティストがビッグになる登竜門のような場所でしたが(自分もいつか…と思っていたのですが)、弾き語りのライブにはちょうどよい規模だったと思います。村下孝蔵さんを初めて生で見たのは道新ホールでした。亡くなられる前の年('98)に行われたライブで、この時が最初で最後となってしまいましたが、貴重な機会でした。 [ハム]
  • 通っていた道新文化センターのコースの発表会が毎年このホールでありました。あまり観客はいない中での演舞でしたが、すごく緊張したのを覚えてます。舞台裏の控室も着替えなどで使わせていただきました。楽しい思い出です! [ひろちゃん]
  • 40年ほど前かと思います。昨年亡くなったヒップアップの島崎俊郎さん。ヒップアップがテレビに出始め人気が出てきた頃にコンサートというか単独ライブがありました。私も20代前半。お腹の皮がよじれるとはあのことです。お腹が痛いほど笑いました。そんな経験はその後ありません。 [ひろぽん]
  • デビュー曲「真夜中のドア」がヒットした松原みきコンサートが思い出されます。確か今から44年位前かと思います。道新ホールに最初に行ったコンサートなので忘れません。 [フージ]
  • 若い頃、よくシンポジウムや講演会が行われた時に、足を運ばせて頂きました。 [ペギー・メイ]
  • 幼少期に親と一緒に落語を見た記憶があります。会場の雰囲気は今でも忘れてないです。良き思い出です。 [ぼー]
  • 道新ホールには企業が主催するクリスマスイベントに4才の息子と参加しました。札幌国際情報高校の吹奏楽部のみなさんの演奏やパフォーマンスが素晴らしく、感動したのを覚えています。みんなで創る音楽のすばらしさを感じました。 [ぽぽん]
  • ザ・ニュースペーパー公演です。何度も家族で行き手作りの国旗を振って楽しみました。ようやく一番前の列が入手できた時、母は脳出血後遺症で車イス生活に。何とか最前列ならではの興奮と熱狂を味わって欲しいと担当者に相談。特例で当日そこだけ席を外し車イスがすっぽり入るようにしてくれました。お約束通りメンバーにもいじってもらい、母は大笑いで大満足。愉快なステージと共にホールの方々の優しさを忘れられません。 [ポム&ピーチ]
  • 40年程前のこと、私は仕事の企画として道新ホールで着ぐるみ劇のピアノ担当になったのです。劇の場面に合う様な音を奏でなくてはなりません。決して得意とは言えないピアノ。なんとか数回のリハーサルの後、当日を迎えました。演奏は舞台袖で行いまっ黒な空間の中で舞台上の動きに合わせてなんとか弾き終えました。もう二度とあるはずもない私の大舞台でした。ありがとう勇気をくれた道新ホール。 [マイマイ]
  • 35年程前と思います。友人にさそわれて初めて”生落語”をみました。席は上の方でしたが、桂小三治さんの”マクラ””ハナシ”に夢中になり、それ以来大ファンになりました。落語の楽しさを教えてもらいました。お腹をかかえ、友達と肩をビシッバシッ?!たたき合って笑ったこと、私の道新ホールの最大の思い出、一生忘れられません。ありがとうございました! [マッちゃん]
  • 昭和から友人と数多くの映画試写会を観させてもらいました。主演俳優さんの挨拶や今では考えられない協賛会社からの試供品もあり楽しかったです。会場まじかに行くと行列の最後尾が1Fで8Fまで上がるのが大変でした。帰りは、バスに間に合うようエレベーターは待たずラセン状の階段を一気に走り下った事を思い出します。今では絶対できません(笑‼) [円山のくまさん]
  • お小遣いの少ない青春時代、階段に並び沢山人間の栄養となる映画を観させて頂きました ありがとうございます 感謝です [マロンコロン]
  • 1982年、佐野元春Welcome to the Heartland Tour。生まれて初めてスタンディングしたのも頭の上で手拍子したのも道新ホールでした。青春のキラキラをいっぱいありがとう。 [みーこさん]
  • 気になる映画の試写会に当たり子供達を連れて見に行くのが楽しみで、道新ホールまで上がるエレベーター待ちしている列に並びながらもワクワクしていたのを思い出します。列が長くて階段で歩いたこともありましたが、疲れるよりも楽しみのほうが勝ってました。ステージまでの距離が短く大好きなホールです。 [みかりん]
  • 私も同じ1963年生まれですが、気づけばいつも暮らしのそばにあったように思います。結婚してからは家族と舞台などを見に行った楽しい思い出があります。 [みかりん]
  • 最初で最後のコンサートに行ったのは三浦祐太朗さんのコンサートでした。席は後ろでしたが、とても良かったです。何回か好きなアーティストのコンサートにも行きたいと思いましたが、ただ前を通り過ぎるだけ それに休みや時間帯が合わなかったので残念です。もしも秀樹さんが元気だったらコンサート開催してほしかったです。 [みかん]
  • 隔年開催の「航空の夕べ」というイベントがありました。映画や講演会などとても楽しかったです。ありがとうございました。 [短い鉛筆]
  • 詩吟の大会をみさせてもらいました。はじめて、道新ホールに行きました。日本の文化を聞かせてもらいました。まったく、興味を持たなかった分野でしたが、生で聞いた事で良さがわかりました! [みっこ]
  • 札幌の街の中心にあって気楽に行ける大好きなホールでした一体今迄何度足を運んだのでしょう感動や笑いやたくさんの思い出でいっぱいですが、演劇終演の後玄関先で見送ってくださった倉本聰さんの事が忘れられません [みなちゃん]
  • 春頃に行われたコンサドーレの選手のトークショーに数回行った事があります。いつも楽しいトークショーでした。プレゼント抽選が当たったら、最高でしたが(笑) [みや]
  • 幼いとき両親に連れられ入場したときのワクワクした感動がいまでも記憶にあります [みやむー]
  • 東京着物学院の着物ショーに出演させて頂いたのが道新ホールとの最初の出会いでした以来、落語や百物語、演劇など丁度よい会場で楽しみました [みるくワン]
  • 「道新ホール」の思い出といえばとにかく洋画、邦画に係わらずあらゆる試写会に当時はハガキで応募して抽選に当たりよく見に行ったものです。ラッキーな時には夫婦で当選した時もありました。上映前、監督と出演俳優の舞台挨拶があり、とても嬉しかった事を覚えています。早めに家を出てホールまでの階段に順に並び開演6時に、いつもの席で見るのが定番でした。一番印象深かったのが2005年公開「男たちの大和」でした。 [ミルフィ~ユ]
  • 生まれて初めて1人でコンサートを見に行ったのが道新ホールでした。ものすごく感激したのを覚えています。61年間お疲れ様でした!そして、素敵な感動をありがとうございました!! [むちまる]
  • 映画、落語、コンサートなどでお世話になりました。好きだったシンガーソングライターのコンサートではガラガラで寂しかった思い出があります [むら5]
  • 様々な講演会に出席して、色んなことを学ぶきっかけになった場所にもなりました。学びの場所でもありました。 [やまさん]
  • 旭川から毎月のように通った大好きな道新ホールが閉館するのはとても寂しいです。落語を聴くにもコンサートにも丁度いい大きさで演者さんも近くに感じられてとっても幸せな時間でした。最後は大好きな談春さんを3日間楽しみます。本当にありがとうございました。 [やまちゃん]
  • 第1回、札幌落語祭りに行きました。落語家の方と観客が近く嬉しかったです。また、行きたいと思ったホールです。その後、コロナになり催しが休止されました。地方なのでおそらく、最初で最後のホールになると思います。もう一度行きたいと思うアットホームな場所でした。ありがとう!! [ヤリス大好き]
  • 1963年オープンということで、まさしく私と一緒に月日が流れた歩みだったのですね…お疲れさまでした。コンサートや講演会に何度も足を運びました…コンサートは道新ホールの楽屋が大好きといっていた来生たかおさんのに何度も行きました。本当にありがとうございます。 [由~みん]
  • 2016年に向井理さんの舞台「星回帰線」が観たくて、義母をお誘いして一緒に観劇をしました。道新ホールに行ったのはその時が初めてでした。それまで舞台劇というものをなかなか観る機会が無かったのですが、間近で俳優さん方の素晴らしい演技を目の当たりにしてとても感動したのを覚えております。今でも、その時にいただいたフライヤーを大事に手元に残してあります。 [ゆうちゃまーる]
  • 単独ライブで年に数回行ってました。毎年楽しみにしていたので、寂しいですがとても良い思い出です!ありがとうございました! [ゆーり]
  • 約20年前、学生時代の学校祭のダンス発表会のリハーサルや本番に利用した施設です。とても懐かしいです。 [ゆか]
  • コンサートや落語等色々と楽しませてもらいました閉館なんて寂しいですがありがとうございました! [ゆっち]
  • ほぼ同年代の「道新ホール」、まさか閉館になるなんて思ってもいませんでした。講演会で訪れたのが初めてだったと記憶しています。お疲れさまでした、今までありがとう。 [ゆってぃ]
  • 私が高校生で、妹が少額5年生の夏に、岩崎宏美さんのコンサートに行きました。妹は、この日のことを、夏休みの思い出として「宏美さんが、すてきなドレスを着てきれいなお声で一生けん命に歌う姿に、私もピアノ、勉強をうーんと頑張ろうと思いました。」と、つづりました。この作文は、当時住んでいた余市町の「こども作文集・よいちっ子」に選ばれて載り、妹の宝物になっています。この文集をめぐると、宏美さんのあのすばらしいステージがよみがえります。 [らいおん]
  • 14(フォーティーン)カラットソウルのコンサートに行った時のことが懐かしいです。今ではありえないと思いますが、なんと彼らは、希望者を舞台に上げてくれて、一緒に歌うことができたのです。30年前の記憶が、一気に蘇りました。楽しかったこと、忘れません。 [らんちゃん]
  • 道新ホールでの思い出はたくさんあります。私より年上だとは思いませんでした(^^)あの場所では若い頃はアイドルのイベント等やコンサートで行ったり、年代を重ねるごとにアーティストのコンサートに行ったりしてました。ラジオの公開イベントや健康についてのイベント等にも参加したり、お笑いライブに行ったりと…一番をつけられません。全てが一番の思い出です!今までありがとうございました [リップルちえ]
  • 昔からイベントや試写会に何度も行っていたので、道新ホールは札幌っ子の必需品でした。その道新ホールで錦鯉独演会が開催され、61周年記念に錦を飾った錦鯉に、感動と面白さで泣き笑いでした! [りょうちゃん]
  • なんといっても、押尾コータローさんのライブを初めて聴いた時の思い出です。通りすがりに、当日チケットを購入して会場に入りました。私にとって無名のギタリストでしたが…、ライブで初めてのスタンディングオベーションでした!前の方に座っていらした女性が、すくっと立ち上がり拍手を送りながら、後ろを振り向いたのです。(あんたたち、このパフォーマンスを聴いて立たないのと…)それ以来、今日まで彼の大ファンです。 [りんたろう]
  • 立川談志師匠ありがとうございます。随分と笑わされ、そして泣かされました。またお話の途中で”大きならくだ”が脳内に浮かびこともありました。ある年、師匠が話し始めて間もなく、客の着信音が鳴りました。最悪途中打ち切りなどほぼ全員が覚悟したと思いますが、幸い何事もなく最後まで進みました。お話が終わった後に、下がってきた緞帳を上げさせて、客席と本日の話とその出来について語るのを聞くのも大好きでした。感謝。 [るぃほ]
  • かなりの数訪れていたのに初めて行ってからの十数回は、方向音痴が毎回発揮されて一度でたどり着けたことがなく、地図を見ながら大通り付近を何度も右往左往しました。やっとたどり着いて席に座った途端会場が暗転したことが何度もあり。でもたくさんの講演会、音楽会に参加しました。やっと迷わずたどり着けるようになったのに…。今までありがとうございました。 [るこ]
  • 一番最初に入館したのは高校一年の時ビートルズの映画視聴でした。エレベーターに乗って上昇する時気分が高揚しました。勾配が急な為か見やすい印象でした。その後何回も訪問してますが都会の雰囲気をその都度感じていました。無くなるのは感慨深いです。 [るま]
  • 1/13(じゅうさんぶんのいち)オフコースの初めての札幌公演。今でも語り草になっています。観客は13人会場は道新ホール。会社の同僚と3人で行きました。小田さんは風邪をひいていて辛そうでしたが、鈴木さんと頑張って13人を精一杯楽しませてくださいました。もう半世紀も前の出来事ですが昨日の事のように思い出します。私のオフコース暦のスタートでした。 [ロージー]
  • お笑いライブが懐かしい。ありがとう道新ホール。 [わいわい]
  • 昭和52年4月、私は高校を卒業して札幌の百貨店に入社しました。そして入社式が行われたのが道新ホールでした。道北の小さな町から出てきたばかりの私はそのホールの大きさにただ驚いたものです。新しい生活が始まる期待と不安が昨日のことのように思い出されます。あれから約半世紀・・同期入社のみんなもすっかり爺さん婆さんになりました・・(笑)。閉館は残念ですが、今でも道新ホールは私の心の原点です。 [わさび]
  • 道新ホールと言えば、何と言っても落語に尽きるでしょう。落語に全く興味がなかった私たち夫婦が足を運ぶ大きなきっかけを作ってくれました。妻は落語に行くときは必ずきものを着て行きます。きものを着るのもモチベーションの1つになっています。そんな夫婦の絆を深めてくれた道新ホールがなくなるのは寂しいですが、感謝の気持ちで一杯です。 [わんこ]
  • 道新ホールと言えば落語会。当代の人気者や名人上手の師匠達。熱演の数々。一般客に混じってエレベーターを待つ私服姿の米朝師匠と遭遇した思い出。アクセスの良さも魅力。シートに腰掛け、これから始まるすてきな時間に期待が高まっていく感覚。幕が開けばそこで繰り広げられる世界に心躍り感動があふれる。日常を忘れてリフレッシュ、エネルギーをチャージ出来た場所。今までありがとう、お疲れさま、道新ホール! [鰻福落語会]
  • 稚内から短大入学で、札幌へ来たのは今から53年前。私はグリークラブに入り、合唱ざんまいの日々。12月になると定期演奏会があり、会場は、道新ホールと決まっていた。楽屋で初めてのお化粧、ロングドレスを着て、校歌をうたい出すと、静かに緞帳が上がり、緊張感で胸がドキドキ…。あっ、お母さんの顔。最後は「白い想い出」を皆でうたって終了。緞帳が静かに下りる中、顔は涙でぐちゃぐちゃ。私にとって、大切な忘れられない思い出のーページ。 [圭ちゃん(けいちゃん)]
  • 初めて道新ホールに行ったのは、10代の頃だったと思います。当時ビーバップハイスクールで人気だった清水宏次朗さんのコンサートでした。一人でコンサートに行くというのでとてもドキドキした記憶があります。あれから何度も行く機会がありました。思い出の場所が無くなってしまうのは寂しく感じますが、老朽化や時代の流れでは仕方ないことなのでしょう。でも記憶にはいつまでも残ってます。 [向日葵]
  • 昔ワタシがまだ中学生の頃、PINKというポップロックバンドか道新ホールで、ライブがあるというので、2つ上の姉と二人でライブに行きました。ライブにいくのは初めてのことでワクワクドキドキしながらいくと、PINKのライブは最高でした。照明や、音楽が素晴らしくて、初めてのライブは30年以上たった今でも鮮明に覚えています、道新ホールはこじんまりしていて、見やすく、岩見沢に帰りやすく大好きでした。ありがとう [今枝麗]
  • ドキドキワクワクしながら、何度ホールに足を運んだ事でしょう。そう『シークレット歌劇團』の12月公演です。笑いあり、涙ありの奇想天外なお芝居と「ここは宝塚?」と思う様なキラキラ眩いレビュー!『愛とユ-モア』という魔法をたっぷりかけて頂き、ホールを後にする幸せ!貴族様が、客席を走り回って頭をポンポンしてくれた道新ホール!目を閉じると、あの日の感動と興奮が蘇り、今でも胸がキュンとなる私です。 [十勝のにゃんドレ]
  • 試写会やLIVEでの思い出がたくさんです。無くなってしまうのが本当に残念です。道新ホールありがとう [真夜中のオレンジ]
  • 初めて道新ホールで堪能したのはシークレット歌劇團0931の年末公演です。2019年から毎年自分へのご褒美として地方から道新ホールへ足を運ぶのが幸せな時間でした。ホールの入り口、エレベーター、階段でグッズ売り場、窓から見下ろす札幌の夜の街並み。田舎暮らしの毎日から瞬間キラキラの非日常を肌身に感じる素晴らしい二日間でした。ホールに施された舞台演出の数々、狭すぎない座席と座り心地を忘れません、感謝です。 [静電気]
  • はじめて一人観劇デビューは忘れもしない道新ホールでした。緊張しながら席についた瞬間は今でも忘れません。この場所、この空間にいる様々な年代性別の方々も同じように楽しみにしてここに来ているのかと思ったら【同志】のような気持ちになり、緊張がほぐれました。幕があき、舞台が終わるまであっという間!その世界に飲み込まれました。以来、一人観劇を続けています。 [大豆]
  • 30数年前、グラスバレーのライブを観に道新ホールに行きました。初めて観た彼らのステージにすっかり惹きこまれ、私の中で何かが変わりました。帰りは突然の土砂降りにずぶ濡れになりながら、今までの自分を洗い流しているようだと胸が躍ったあの夜を忘れることはありません。それから彼らは私の心の支えになり、道新ホールは運命の場所になりました。 [道新ホールに乾杯]
  • 今回の企画で40年以上前にオフコースの「小さな部屋」リサイタルに当選して500円で観賞したことを思い出しました。その時のチケットは、断捨離されずに手元にあります。 [南区のこえだ]
  • 長女がまだ3歳くらいの頃、親子で道新ホールで行われていた、子ども向けの公演を観にいきました。その時私は双子の兄弟を妊娠中でしてこれからは、きっと今まで以上に子育てに追われ、娘と二人きりの時間もとれなくなるかな、と思いながらちょっぴり淋しい思いをしながら観ていました。今や成人した娘と私で、あちこちの公演を観に行っていおりますが、時々娘と手を繋いで歩いた道新ホールからの帰り道を思い出すのです。 [猫じゃらしー]
  • 昭和38年は私が高校卒業し社会人としてスタートした年と道新ホールのオープンと重なっていた事を今知りました。ホールも私の人生も、長年に亘り苦楽の時間を過ごさせていただき有り難う御座います、今は80歳の元気な隠居です。 [風美]
  • 大好きな貴族さまの毎年12月の公演。道新ホールで初めて出逢って1年の締めくくりに欠かさず通いました。いわゆる全通です。泣いて笑ってまた泣いて。優しさで満たしてもらい翌年を迎えるのです。公演でのひとときはサイコーの忘年会!コロナ禍でも創意工夫を凝らした公演内容で心身の健康を保ってくれました。脳裏に浮かぶ景色は愛に溢れた彩りです。少し狭い客席では触れ合うきっかけも多くあり、仲間も沢山作ってくれました。 [平民の角食@0931]
  • コンサートや講演会で馴染みになった道新ホールが無くなるなんて寂しい思いでいっぱいです。毎回楽しみにしていた想いが蘇ってきました! [北の石っころ]
  • 道新ホールで桂文珍の新作落語「心中恋電脳(しんじゅうこいのばーちゃる)」を聞きました。その落語に、「疲れたと帰るわが家は鬼ヶ島」「まだ寝てる帰ってみればもう寝てる」「粗大ごみ今朝出したのに夜もどる」という川柳がありました。この川柳を聞いたとたん、会場は爆笑の渦につつまれました。家へ帰ってから、妻にこの落語の川柳の話をしますと、妻もげらげら笑いましたね。 [Bちゃん]
  • 仕事で何度か出入りした事はありましたが初めて利用したのは3年前のNORDのライブでした コロナ禍で全員マスクをし、席も1席ずつ空けて着席。演者さん以外誰一人として声を発さない、先日行われたライブからは想像できない寂しいものでした。あたりまえにライブが出来て目いっぱい声を出して応援出来るということがどれだけ幸せな事なのか3年前を思い出しながら参戦しました。 [kyoko]
  • 色々な講演で何度も伺い、その度に残る記憶は心の宝物です。61年間ありがとう! [Lucky]
  • 道新ホールへは、若い頃によく試写会やコンサートに行きました。ホールとしては珍しく8階にあり、一斉に退場する時にはエレベーターに並ぶ長蛇の列。私もよく階段で降りたものです。一番印象に残っているコンサートは、井上陽水さんのコンサートです。小さめのホールで、アーティストを近くに感じられる落ち着いたコンサートでした。道新ホールがなくなるのは寂しいですが、たくさんの思い出をありがとうございました。 [Seiko]

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