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知里幸恵 銀のしずく記念館木原館長インタビュー

知里幸恵 銀のしずく記念館木原館長インタビュー

北海道東川町ではアイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作しています。MouLa HOKKAIDOでは、2023年秋の公開に先駆け、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回は知里幸恵の功績を伝える「知里幸恵 銀のしずく記念館」の木原館長に日頃の取り組みについて話を聞きました。(オンラインにてインタビュー)

東京でアイヌ文化と共に育つ

編集部
本日はよろしくお願いします。
木原さんは普段は東京で活動されていると思いますが、ご出身は登別でしょうか?

木原
はい。登別は母(知里幸恵のめいの横山むつみ)や幸恵のふるさとで、私も登別で生まれて幼少期に家族で東京に移住しました。

編集部
東京でも子供の頃からアイヌ文化に触れながら暮らしていたのですか?

木原
両親が「関東ウタリ会」というアイヌ民族の団体で活動していて当時自宅が事務局になっていたので、自宅に仲間が集まる機会も多く日常的にアイヌ文化に触れながら幼少期を過ごしました。

編集部
関東ウタリ会ではどのような活動をされていたのですか?

木原
現在私が勤めている「アイヌ文化交流センター」は1997年に設立されたのですが、それまでは東京にアイヌ民族が気軽に集まることができる施設がありませんでしたので、自宅や都内の公共施設などで例会を開いていました。私も両親と一緒に参加して、アイヌの歌、舞踊、ムックリ(口琴)、トンコリ(弦楽器)、アイヌ語などを習っていました。

編集部
幼い頃から日常の中でアイヌ文化に深く触れてきた経験は今の活動の礎になっていますよね。

木原
そうですね。幼い頃から両親と一緒に関東ウタリ会の活動に参加していたこともあり、当時から自分がアイヌであることを自覚していたと思います。中学生や高校生になると、社会の偏見を意識してアイヌの活動から離れる人もいますが、私は継続的に参加していました。ちょうど、国際先住民年(1993年)が設定される前後にアイヌ民族への関心が高まり、関東でも関連イベントがたくさん開かれていたので、私もアイヌ伝統舞踊などの公演に出演しました。継続的に活動をしていたので母も喜んでいたと思います。

海外でアイヌ文化の魅力を再認識

編集部
現在お勤めのアイヌ文化交流センターではどのようなお仕事をされているのでしょうか?

木原
アイヌ民族について無料で学べる「場」の提供をしています。そこでは、アイヌ文化を体験するための講座、例えばアイヌ文様を刺繍したランチョンマットを作ったり、アイヌ古式舞踊を実際に踊ってみる講座など、様々なコンテンツを用意しているのでどなたでも気軽にアイヌ文化に触れることができます。またアイヌに関する蔵書が6000冊ほどありますので、アイヌ民族について調べ物をする際にも重宝いただいております。

編集部
幼少期からアイヌ文化と共に育ち現在もアイヌ文化に関わるお仕事をされていますが、木原さんの中でアイヌ文化により深く関わろうと思ったきっかけは何ですか?

木原
今の職場で働き始めた頃に、職場が主催する特別展の企画の一環で、100年以上前にマンロー※が収集したアイヌ民族の衣服や木彫品などを調べるためスコットランド博物館と大英博物館に行きました。それまで日本の博物館などでガラスケース越しに古い資料を見たことはありましたが、その時に初めて手に取って古い時代の資料を見ることができました。資料に触れた時にオーラのようなものを感じて、とても感動したことを今でも鮮明に覚えています。

その時に改めてこの仕事に関われてよかったと痛感しました。小さい頃からアイヌ文化に触れて育ち、大学で学芸員の資格を取り、今こうやってアイヌ文化の伝承に関わる仕事についていることに、過去からの点が一本の線で結ばれたような充足感を覚えましたし、もっとこの仕事を深掘りしてみようと強く思うようになりました。

編集部
それはとても運命的な経験でしたね。

ニール・ゴードン・マンロー(1863〜1942年)
イギリスの生まれの医師、考古学者、人類学者。日本人女性と結婚し、1890年に来日し、横浜で医師として、その後軽井沢サナトリウムの院長として働く。1905年(明治38年)に日本に帰化。1932年に北海道沙流郡平取町二風谷に転居し、医療活動に従事する傍らアイヌの人類研究、民族資料収集を行った。

編集部
2022年にはNHKの番組で「アイヌ神謡集」を朗読されたと伺ったのですが、これもまたご自身にとって特別な体験となったのでしょうか?

木原
私が関東ウタリ会でアイヌ語を教わっていた中川裕先生(千葉大学名誉教授)からお声がけいただき『100分de名著』という番組に出演して「アイヌ神謡集」を紹介しました。
「アイヌ神謡集」は特に序文が高く評価されていて、丁寧な日本語でアイヌ文化の素晴らしさを伝えています。

「アイヌ神謡集」-序
其の昔此の廣い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天眞爛漫な稚兒の樣に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと樂しく生活してゐた彼等は、眞に自然の寵兒、何と云ふ幸福な人だちであつたでせう。  冬の陸には林野をおほふ深雪を蹴つて、天地を凍らす寒氣を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には凉風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の樣な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟かな陽の光を浴びて、永久に囀づる小鳥と共に歌ひ暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穗揃ふすゝきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、圓かな月に夢を結ぶ。嗚呼何といふ樂しい生活でせう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、此の地は急速な變轉をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。  太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて野邊に山邊に嬉々として暮してゐた多くの民の行方も又何處。僅かに殘る私たち同族は、進みゆく世のさまにたゞ驚きの眼をみはるばかり。而も其の眼からは一擧一動宗教的感念に支配されてゐた昔の人の美しい魂の輝きは失はれて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おゝ亡びゆくもの‥‥‥それは今の私たちの名、何といふ悲しい名前を私たちは持つてゐるのでせう。  其の昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にかうした慘めなありさまに變らうなどとは、露ほども想像し得なかつたのでありませう。  時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競爭場裡に敗殘の醜をさらしてゐる今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て來たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては來ませう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈つてゐる事で御座います。  けれど‥‥‥愛する私たちの先祖が起伏す日頃互に意を通ずる爲に用ひた多くの言語、言ひ古し、殘し傳へた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまふのでせうか。おゝそれはあまりにいたましい名殘惜しい事で御座います。  アイヌに生れアイヌ語の中に生ひたつた私は、雨の宵雪の夜、暇ある毎に打集ふて私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。  私たちを知つて下さる多くの方に讀んでいたゞく事が出來ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。  
  大正十一年三月一日
                                      知里幸惠    

番組内では、知里幸恵の日記も朗読したのですが、日記の中で「私はアイヌだ。何処(どこ)までもアイヌだ」と記し、アイヌ民族として生きる「アイヌ宣言」をしています。このフレーズを読んだ時に、まるで幸恵が乗り移り、自分がアイヌ宣言をしているような気持ちになりました。

知里幸恵 銀のしずく記念館の始まり

編集部
登別に「知里幸恵 銀のしずく記念館」ができた経緯について教えてください。

木原
両親は1997年に東京から登別に戻り本格的に幸恵の伝承活動を始めることになります。多くの人に寄付を呼びかけて仲間と一緒に2010年に「知里幸恵 銀のしずく記念館」を造りました。

記念館では、知里幸恵の日記、日誌帳、『アイヌ神謡集』の基礎原稿となった自筆の『知里幸恵ノート』(複製1~4)、知里幸恵の写真、金田一京助や両親との書簡、葉書など貴重な資料、遺品が展示されています。その他、植物を観察しながらアイヌとの関わりを学ぶ観察会などの催しや活動を行っています。


『アイヌ神謡集』第1話=「知里幸恵 銀のしずく記念館」提供


知里幸恵ノート(復刻本)=「知里幸恵 銀のしずく記念館」提供

「知里幸恵 銀のしずく記念館」提供


知里幸恵 銀のしずく記念館

住所
登別市登別本町2丁目34-7
電話番号
0143-83-5666
営業時間
午前9時30分〜午後4時30分
定休日
火曜日(祝祭日を除く)/冬季休館(12月20日~2月末日)
備考
入館料/大人(500円)、高校生(200円)、小中学生(100円)など

自分なりに自由にアイヌ文化の魅力を発見して欲しい

編集部
2023年はアイヌ神謡集の刊行100年、知里幸恵さん生誕120年を記念する年ですが、何か予定している記念行事などはありますか?

木原
アイヌ文化交流センター(東京)では今のところ何も予定はないですが「知里幸恵 銀のしずく記念館」では、毎年実施している「知里幸恵フォーラム」(今年は9/17(日)10時〜16時に開催)を、「アイヌ神謡集これからの100年」というテーマで実施する予定になっています。

私がコーディネーターとなり、これからの100年にどうやってアイヌ文化を伝えていくかについて、ゲストを招いて様々な意見交換の場にできればと考えています。ゲストには大学の先生などに加えて、学生にもパネリストとして参加してもらう予定です。それぞれの立場で思い思いの意見が出てくると思うので、どんな話が繰り広げられるのか今からとても楽しみです。


編集部
映画「カムイのうた」も2023年秋完成予定なので、今秋はフォーラムや映画など、今まで以上に多くの方にアイヌ文化の素晴らしさを伝えられる機会が増えますね。

木原
アイヌ文化の素晴らしさはたくさんありますし、一つ一つを言葉で伝えていくことも大切なのですが、何かを「感じる」ことも必要だと思っています。例えば、先ほどお話しした私が海外の博物館で古い資料を手にしたとき、言葉ではうまくいい表せない感動を覚えたように、うまく言葉にできないけれど、何かを強く感じることってありますよね。アイヌ文化について直接見聞きすることで、人それぞれに、思い思いの解釈でアイヌ文化が伝わっていくことも必要だと感じています。

アイヌ文化は漫画でも表現されていますが、映画もまた年齢・性別など関係なく多くの方が何かを感じ取ることができる表現手法だと思うので、映画を通してアイヌ文化に触れてみて、自分なりに自由にアイヌ文化の魅力や素晴らしさを発見してもらえると嬉しいです。

編集部
映画の公開が今から楽しみですね。映画「カムイのうた」は今秋完成予定で、登別市では9/18(月)に特別試写会を予定しているそうです。

木原
私も今から完成が楽しみです。

編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。


この記事を書いたモウラー

編集部

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