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アイヌ語講師 関根健司さんインタビュー

アイヌ語講師 関根健司さんインタビュー

北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作しています。MouLa HOKKAIDOでは、2023年秋の公開に先駆け、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回は平取町二風谷でアイヌ語講師として活動されている関根健司さんに日頃の活動について詳しくお話を聞いてきました。

二風谷との出会い

編集部
関根さんは兵庫県ご出身とのことですがなぜ北海道に移住しようと思ったのですか?

関根
北海道に移住したのはもう20年以上前なのですが、その当時いつかは日本一周をしたいと考えていて27歳の時に色々なタイミングが重なり一念発起しました。

編集部
え?日本一周??すごいですね!ちなみにどのような手段で日本一周されたのですか?

関根
50ccのバイクで旅立ちました。笑 
最初は四国に行き、その後、九州、沖縄へ移動しました。旅先では気に入ったところがあれば長逗留して地元の活動を手伝わさせていただく、というようなことを繰り返しながら旅を続けていました。

編集部
旅先ではどのような活動をされていたのですか?

関根
行く先々でいろんな経験をさせてもらいましたが、珍しいものだと、屋久島ではウミガメ調査もやりました。

編集部
想像を超えた活動です。笑 ウミガメ調査って大変そうですがやりがいありそう。笑
日本一周の旅路で最終的に平取町に辿り着いたのですね。

関根
そうですね。ただ平取町に二風谷があることは知っていましたが、目的地にしていたわけではなくなんとなく辿りついた感じです。もちろん縁もゆかりもなく知人もいませんでしたし地名を知っている程度でした。


アイヌ語講師として活動をはじめる

編集部
二風谷で暮らし始めた時にはすでにアイヌ語はできたのですか?

関根
当時、アイヌ語は全くできませんでした。妻は結婚した時にはすでに子ども向けのアイヌ語講師をやっていたので、私もたまに手伝うことはあったのですが、講師として働いていたわけではありません。その時は林業などの仕事をしていました。

編集部
奥さんのアイヌ語講師の仕事を手伝いながら、ご自身でもアイヌ語の勉強をしていたのですか?

関根
そうですね、基本独学でコツコツ繰り返し勉強していました。いつも「どのくらいの期間でアイヌ語を覚えたのですか?」と聞かれるのですが、これがまた回答が難しい質問でして。笑 妻のアイヌ語講師の手伝いは、私にとっては暮らしの一部でしたし、自分でも勉強はしていましたが、それもまたマイペースでわざわざやっているという感覚もなかったので、いつから始めて、いつ出来るようになったという明確な記憶もなくて。アイヌ語って、細かい用例などは一つ一つ調べて正解を見つける作業も伴うため、今でもまだわからない単語や用例もありますので今も勉強中です。

編集部
関根さんは学生時代から語学学習が得意なタイプだったのですか?

関根
若い頃から独学で英語を勉強していましたね。

編集部
英語もできるのですか?

関根
はい、英語もできます。勉強していた当時は覚えた英語を使う機会がなかったですが、二風谷だと外国からの観光客や、アイヌ文化に興味を持った外国人の方もたくさんいらっしゃいますので、今は英語を使う機会が増えました。役場に外国人のお客様が来た際の通訳として呼ばれることもありました。そうこうしているうちに私に「英語でアイヌ文化を発信できる人」というイメージが定着したこともあり、40歳くらいの時に役場の職員として博物館で働くことになりました。博物館で5年ほど勤務した後異動になり、現在は教育委員会で働いています。

編集部
なるほど、そうやってアイヌ語との関わりがさらに深まっていったのですね。

効果的なメソッドとの出会い

編集部
教育委員会では現在どのような仕事をされているのですか?

関根
小学校で子どもたちにアイヌ語を教えています。またそれ以外にも学校でアイヌ文化学習のカリキュラムを考える際にアドバイザーとして参加しています。私が直接担当できることはやりますし、専門外の講師が必要な場合は、外部講師をアサインしてカリキュラムを遂行するような仕事もしています。

編集部
教育委員会のお仕事とは別に、アイヌ語教室もやられているのですよね?

関根
現在は週2回子ども向けのアイヌ語教室をやっています。子ども向けの教室が終わった後に、大人を対象にしたアイヌ語の会話セッションプログラムもやっています。

編集部
アイヌ語の「会話セッションプログラム」とは具体的にどのようなことをやられているのですか?

関根
簡単にいうと、私から出された「お題」について参加者がアイヌ語だけで会話を展開するイメージです。

編集部
お題とはどのようなものですか?

関根
お題は事前にLINEで共有しておくのですが、例えば「雨」というお題を出したとすると、参加者は雨について思うこと、感じることをアイヌ語で会話する。それを90分間ほどやっています。
それとは別に週1回zoomを使ったテ・アタアランギを20人くらいでやったり、週1回アイヌ語で自由に会話するオンラインの会なども主宰しています。


関根
10年くらい前にアイヌとマオリの交流プログラムの研修生としてニュージーランドに行ったのですが、その時「テ・アタアランギ」というマオリ語教授法と出会いました。「テ・アタアランギ」とはマオリ語を母語としない大人向けのマオリ語教授法です。これがとても優れた方法論だったので、帰国後、早速自分のアイヌ語教室にも取り入れました。

編集部
「テ・アタアランギ」は初めて聞きました。マオリ語教授法として、そのようなメソッドがあるのですね。

関根
教える側も学ぶ側もマオリ語しか使わずに、身振り手振りを交えながら学びます。そんなことができるだろうか?と思われるかもしれませんが、意外とできるんですよ。そして大人の語学学習にはこの方法がとても有効で、私もそれをニュージーランドで体感できたので自分のアイヌ語教室でも実践しています。ニュージーランドでは実際にこのやり方で学び、2、3年でマオリ語が喋れるようになった大人たちがたくさんいます。

編集部
アイヌ語を教えていて難しい点はどの辺ですか?

関根
アイヌ語は危機言語と言われています。それでもまだ資料などは多い方なので恵まれた環境だと思うのですが、一番困るのが会話の用例がわからない。どう話すと自然なアイヌ語なのか。文章の組み立てはできるのですが、細かいニュアンスというか、伝え方の正解がわからないのが苦労しますね。

アイヌ語の可能性とは?

編集部
アイヌ語ができる人が増えることで、例えば通訳の仕事や観光客のアテンドなど「雇用創出」にもつながる可能性もありそうですね。

関根
将来的にその可能性はあると思います。そのためには、例えば平取町ではアイヌ語が公用語になっていて、ロードサインや街中の案内板は常に日本語、アイヌ語が併記されていたり、公共施設にアイヌ語で対応できる人が常駐しているぐらい成熟した環境になっていないと実現は難しいかもしれません。私の目標は、多くの道民が日本語とアイヌ語ができる世界を作ることです。そのために今自分ができることを丁寧に続けることが大切だと思い日々活動をしています。

北海道に行くと、道民たちがいたるところでアイヌ語をしゃべっている。そんな状態が作れたらそれ自体が魅力的な「観光資源」になりますよね。それを見たいがゆえに、国内、海外問わず、北海道に行こう!と思う人もたくさんいるような気がします。

編集部
ニュージーランドに渡って「テ・アタアランギ」というマオリ語教授法を学び、アイヌ語伝達のためのメソッドを確立したりして、常に効率的かつ効果的な勉強方法を実践されていますが、アイヌ語ができる人を増やすために必要なことってなんだと思いますか?

関根
日本人が、英語ができるようになると進学や就職に有利になる「スキル」として扱われますよね。それと同じようにアイヌ語ができるようになると自分の将来の選択の際の「スキル」になれば、自ずと勉強してみたい!と考える人が増えると思います。


マオリ語を習う際にも使われている道具


色と長さ違いで10種類ある


編集部
アイヌ語が秘めているその可能性にはいつ気がついたのですか?

関根
ニュージージランドでの経験が、アイヌ語講師として活動する今の私の礎になっていると思います。初めてニュージーランドに行ったのは2013年。娘が中学校一年生の時に5週間仕事を休んで家族全員で行きました。当時の私はアイヌ語のことについて各所から取材を受けるなどアイヌ語の活動に対してそれなりに評価もいただいていたのですがニュージーランドに行ってそのレベルの高さにカルチャーショックを受けました。

みんながマオリ語を流暢に話している。マオリ語だけで会話をして冗談を言い合い談笑している。この状況をどのように作ったのか?マオリ語を覚えるためにどのように学習しているのか?5週間という限られた時間でしたが、貪欲にたくさんのことを学んで帰ってきました。ニュージーランドに行ってみて、言語復興は不可能ではないんだと改めて感じました。

編集部
ご自身が日常の中で、マイペースでアイヌ語を学んでいた頃と、独自の伝達メソッドを研究しながらより深くアイヌ語に向き合っている現在と比較して、アイヌ語に対するイメージって変わりましたか。

関根
私がアイヌ語を学び始めた頃は「関根さんはアイヌ語ができてすごいね!」と言ってもらったり、自分自身のアイヌ語の成熟深度を評価されることが喜びであり、目標になっていましたが、ニュージーランドに行ってからは、自分ひとりがアイヌ語をできるのではなく、アイヌ語ができる人をひとりでも多く増やさないと意味がない。それを達成することが自分のミッションだと強く思うようになりました。

編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。


この記事を書いたモウラー

編集部

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