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木彫師 貝澤徹さんインタビュー

木彫師 貝澤徹さんインタビュー

北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作しています。MouLa HOKKAIDOでは、2023年秋の公開に先駆け、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回は平取町二風谷で木彫師として活躍している貝澤徹さんに日頃の創作活動について詳しくお話を聞いてきました。

運命的な出会いから本格的な木彫の世界へ

編集部
貝澤さんが初めて木彫に触れたのはいつ頃ですか?

貝澤
幼少の頃から父が木彫をする姿を見て育ちました。特に私が高校生の頃は北海道観光ブームの最盛期ということもあり、父は日々木彫を作っていました。職人の仕事を見て育ったということもあって、木彫のやり方は、子供の頃から見よう見まねでなんとなく理解していたような気がします。

編集部
ご自身で一番最初に作った作品を覚えてますか?

貝澤
中学生の頃に冬休みの工作で木彫を作った記憶があります。高校を卒業してすぐに父の店で働き始めました。当時はお客さんも多かったので、高校を出てすぐの私の作品でも作るそばから売れていた時代。とにかく毎日忙しく働いていました。


貝澤さんの作業場兼店舗

編集部
働き始めた当初は、作業をこなすだけで精一杯だったと思うのですが、貝澤さんが作品の中に「自分らしさ」や「こだわり」を意識し始めたのは何歳くらいですか?

貝澤
20歳くらいだと思います。

編集部
何かきっかけがあったのですか?

貝澤
私が20歳くらい頃に、阿寒湖畔の木彫家、藤戸竹喜先生が祖母を尋ねて二風谷にいらしたことがあるのですが、その時の藤戸先生がとにかくかっこ良かった。笑
ハーレーダビッドソンにまたがってレイバンのサングラスをかけて、さながらアメリカンポリスのようなスタイルで颯爽と登場したのですが、当時の私には衝撃的でした。ご本人もかっこ良いし作品もかっこ良い。その時藤戸先生は「孫にやってくれ」と、祖母に小さな木彫りの熊を渡して帰られました。私は直接お話しすることはできなかったのですが、その小さな木彫の熊を見ただけで圧倒されました。


藤戸先生から頂いた小さな木彫りの熊

貝澤
生きているように写実的で、今まで見てきた木彫の熊とは比べ物にならないほど圧倒的な存在感がありました。あれは衝撃でしたね。今でもあの時の感動は鮮明に覚えています。「こんな人になりたいなぁ」と憧れました。それまでは「土産物として売れれば良い」くらいの気持ちでしたが、そのときから「せっかく彫るなら良いものをつくりたい」という考えに変わりました。

自分の作品スタイルが生まれたきっかけ

編集部
それは運命的な出会いでしたね。実際の仕事では「注文」に応えることが多いと思うのですが自分のこだわりを反映させることって難しくなかったですか?

貝澤
うちの店では、自分たちで作ったものを直接販売しているため問屋から「注文」を受けることがないので、父は好きなものを自由に作らせてくれました。そのような環境で仕事ができていたこともあり、当時は伝統的なアイヌ文様は「自分がやらなくても良いのでは?」と考えていました。

編集部
確かに木彫作りの経験を積まれ、さらに藤戸先生との運命的な出会いもあいまって、貝澤さんが目指したい作品性が確立されればされるほど、現実とのギャップって生まれますよね。
しかし現在では貝澤さんは伝統的なアイヌ文様ともしっかりと向き合っていますよね。ご自身の考え方ってどのように変化したのですか?

貝澤
1997年に「民族工芸の変容と展開」というシンポジウムがあって私も参加したことがありました。その時の資料として、私のひいおじいさんで、明治の名工だった「ウトレントク」が作ったイタを参加者に見てもらったところ、ある先輩が目の色を変えて夢中になって作品に見入っていたのです。その時に伝統的なアイヌ文様を彫るのは嫌だとか言っている場合ではないと思い直しました。

編集部
実際に伝統的なアイヌ文様と改めて向き合ってみてどうでしたか?

貝澤
自分が想像していたよりずっと難しかったです。単純に彫れば良いということではないので、彫りと文様のバランスが一番大事かもしれませんね。


編集部
私は通勤の際に、札幌駅構内/アイヌ文化を発信する空間「ミナパ」に展示してある、貝澤さんの作品を毎日のように見ているのですが、貝澤さんの作品は、どこか温もりを感じるものが多い印象があります。特に「ミナパ」にあるシマフクロウの立体作品は、今にも動き出しそうなリアリティがありますよね。伝統的なアイヌ文様としっかりと向き合いながらも、貝澤さんの個性もしっかりと尊重した作品を作られていると思うのですが貝澤さんの今の作品作りの原点はどこにあるのですか?

貝澤
毎日私の作品を見てくださってありがとうございます。笑 
私は、伝統的なアイヌ文様だからといって、誰が作っても全く同じものだとつまらないと思っています。2001年に札幌の赤れんがで、木彫作家3人でイタの実演彫りをやったことがあるのですが、その時に、三人で同じイタを作るのもおかしいので、私はあえて布のような表現を試してみました。その時にお客さんから褒めていただき、それがきっかけで、私の「樹布」が生まれました。

編集部
まさにその時の体験が、貝澤さんの現在の作品のルーツでもあるのですね。

貝澤
それが私の代表作「アイデンティティ」の、布のようなやわらかい表現にもつながっています。この作品は現代の日本人として生きるアイヌである、私自身です。

ファスナーを上げれば日本人。でも、中はアイヌ。それでタイトルを「アイデンティティ」としたのですが、作品の解釈もまた、見た人個々の感性で自由に感じて意味づけしてもらえると、作者としてとても嬉しいですね。

作品作りとコミュニケーション

編集部
貝澤さんの作品はインターネットでも購入できるのですか?

貝澤
インターネットで販売できればもっと手軽に購入できますよね。ウポポイとか、ミュージアムショップでの販売もお声がけいただくのですが現在は店舗販売のみです。お店に置く分を作るだけで手いっぱいですし、自分が納得いく作品を、ひとりでも多くの方へお届けするために今の販売形態にしています。

直接来店していただければ、お互いに顔もわかるしいろんな話もできるので、それもまた作品作りにとって大切な要素になっています。
お店には作品をたくさん展示しているので、現物を手に取って、文様の雰囲気をお確かめいただくこともできます。

編集部
貝澤さんはお客さんとのコミュニケーションも大切にされていますよね。

貝澤
うちはギャラリーではなくて、店舗兼作業場なので接客もします。あるとき東京から来られた男性が来店されて、話をしていると、東京で漫画を描いていると言うので、なんとなく『ゴールデンカムイ』の話をしたら「それ、僕です」って。笑

編集部
え?それはすごい話ですね。笑

貝澤
作者の野田サトル先生本人が来店してそのときマキリを一本注文してくれました。それが漫画に出てくるキャラクター「キロランケ」のマキリのモデルになりました。
今ではここはファンの聖地みたいになっていますよ。女の子がマキリを買いに来るなんてそれ以前には考えられなかったですからね。


編集部
今は平日の午前中ですが、この1時間くらいの間にも、すでに何組がお客さんいらっしゃってますもんね。
※店舗内でインタビュー中も何組か来店されて、貝澤さんは丁寧にお客さんとお話されていました。

アイヌ文化の魅力が共感し合える時代へ

編集部
先ほど「アイデンティティ」のお話の中で、この作品は現代の日本人として生きるアイヌ民族である貝澤さん自身であるとのお話がありましたが、具体的にもう少し詳しく聞かせてください。

貝澤
私は、自分がアイヌであることを特別強調したくはないのです。アイヌ語が話せるわけでもないですし普段からアイヌの衣装を着ているわけでもない。暮らしぶりもいたってみなさんと同じです。日本人だって、日本の踊りは踊れないし、昔の暮らし方を続けているわけではないのと一緒だと思います。しかしアイヌ民族としての誇りもあるし、木彫家としてアイヌ文様の素晴らしさを理解しています。そのように、現代の日本人と、アイヌ民族が、自分の中で自然に調和していると思います。自然に現代社会のおけるアイヌ民族の実際と、世間のイメージに少し乖離があるかもしれないですね。

編集部
確かにおっしゃる通りですよね。何か勝手なイメージというか、先入観が先行している風潮ってあると思います。

貝澤
私の場合、祖母は明治の生まれなのでアイヌ語は話せましたが家では日本語を使っていましたし、親世代は多少単語がわかる程度。我々世代はアイヌ語がわからない人が多い。でも、最近アイヌ語教室なども積極的にやられているので、今の若い世代のほうが我々より理解が深い部分があると思います。時代が回り、また改めてアイヌ文化が注目されていると思いますし、これからはアイヌ文化の素晴らしさを、いろんな人たちと共有できる時代が来るような気がしています。

編集部
時代に合ったカタチで、自然にアイヌ文化の魅力や素晴らしさが多くの人と共有し合えることが一番ですよね。
お話を伺っていて、今はそれが実現できる時代だと感じました。


編集部
木彫家として、ご自身の技術を継承する活動をしていますか?

貝澤
平取町が「伝承者育成事業」に積極的に取り組んでいるので、私もできる限りのことで協力しています。現在、平取町で活動しているプロの木彫家は私を含めて5人だけで、そのうち私が2番目に若いのです。笑

それだけ後継者が圧倒的に足りていない現状。町の「伝承者育成事業」で頑張っている若手ももちろんいますがまだ彼らは木彫だけでは食べていけない。今後のことを考えると、後継者探しはアイヌに限定せずに、もっと広い視野でアイヌ文化に共感してくれる人との出会いが必要ではないかと感じています。

編集部
先ほどの『ゴールデンカムイ』や、現在東川町で制作している映画「カムイのうた」は、年齢性別、国籍も関係なく、多くの方にアイヌ文化を知ってもらうための有能なツールになりますよね。

貝澤
アイヌには「天から役目なしに降ろされたものは一つもない」ということわざがあります。人間や動物だけでなく使われる道具にも命があって役目があるということです。漫画や映画を通して、このようなアイヌ文化に共感してくれる方も増えると思います。そしてアイヌ文化がさらにいろんな人に伝わることで、同時にこの文化を後世にも残したいと思う人も増えると思います。私の作品もアイヌ文化を知るきっかけの一つになればいいなと思います。

編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。


この記事を書いたモウラー

編集部

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