平取町アイヌ文化振興公社 原田啓介・梨乃さんインタビュー
北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作し2023年11月23日から公開しています。MouLa HOKKAIDOでは、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回は株式会社平取町アイヌ文化振興公社の職員としてアイヌ文化伝承に携わる原田啓介・梨乃さんに日頃の取り組みについて詳しくお話を聞いてきました。
学生時代に学んだこと
編集部
本日はどうぞよろしくお願いいたします。二人とも札幌大学のウレㇱパクラブの出身とのことですが、ウレㇱパクラブを知ったのはいつ頃ですか?
啓介
高校で進路を決める際に、札幌大学の入学案内を通じてウレㇱパクラブのことを知りました。具体的にどのような活動をしているのかはその時点では理解していませんでした。
梨乃
私の場合は、ウレㇱパクラブよりも先に本田優子先生のことを知っていました。高校3年の進路決定の直前に、知人から本田先生が札幌大学でウレㇱパクラブを指導していると聞き、保育士への道を諦めて札幌大学への進学を選びました。
編集部
なるほど、二人ともウレㇱパクラブを知ってはいたけど、具体的な活動内容については詳しく知らなかったわけですね。
梨乃
受験前にオープンキャンパスに参加したのですが、その時にウレㇱパクラブのブースを訪れて活動内容について詳しく教えていただきました。
啓介
僕はオープンキャンパスには参加せず、実際に入学してからウレㇱパクラブの活動内容を詳しく知りました。
編集部
ウレㇱパクラブではどのようなことをしていたのですか。
啓介
二人とも担当する係は違っていたのですが、僕は1年生の時には撮影係としてビデオの撮影や編集を行いました。2年生の時はイベント係も経験しましたが、3、4年生では再び撮影係を担当しました。毎年係は変わるので、その都度自分の希望する係を選んで担当していました。
編集部
人気の係に希望者が集中することはないのですか。
梨乃
ありますよ。みんなで話し合いながら人員を振り分けていました。
編集部
特に人気があるのは何係ですか。
啓介
現在の状況は分かりませんが、僕たちが在籍していた当時は「撮影係」が人気だったと思います。
梨乃
「イベント係」もよく選ばれていましたね。
啓介
毎週月曜日と木曜日の18時から20時にやっている学習会の準備や運営を行う「学習会係」はかなり大変な作業だったと思います。
梨乃
私はその「学習会係」を2回やりました。笑
編集部
ウレㇱパクラブの活動で特に印象に残っているエピソードはありますか。
啓介
夏の合宿は特に印象に残っています。北海道内を巡るのですが、その経験が人との繋がりを広げるきっかけになりました。今でも連絡を取り合っている人がいます。
梨乃
私は、たくさん海外訪問に行かせてもらえたことが特に思い出に残っています。
編集部
海外への訪問機会もあるのですね。
梨乃
ウレㇱパクラブでは、一年ごとに国内、海外と研修に行くのが通例なのですが、私たちの代はいろいろな機会が重なったこともあり、台湾、ハワイ、ニュージーランドと大学4年間のうちに3カ国を訪れることができました。
啓介
先に少し触れた学習会も僕にとっては非常に有意義な時間でした。18時から20時までアイヌ文化に関する学習の後、部室で先輩や後輩とディスカッションしていたのですが、これまでの人生で、勉強をテーマに熱心に語り合った経験がなかったので、学習会は特に意義深いものとなりました。
アイヌ文化の魅力を知る
編集部
啓介さんは、ウレㇱパクラブに入ってから徐々にアイヌ文化の魅力にハマったとおっしゃっていましたがそのきっかけは何だったのですか。
啓介
アイヌ語地名について先輩から教わっていたときに、日常でよく耳にしたり、いつも使っている言葉にもアイヌ語由来が多いことを知り興味を持ちました。同時に自分がアイヌ文化についてまったく何も知らないことを知り、もっと学びたいと思うようになりました。
編集部
梨乃さんがアイヌ文化を深く学びたいと思ったのはいつですか。
梨乃
二風谷出身ということもあり、最初はアイヌ文化を学ぶことについて簡単に考えていましたが、入学後にクラブメンバーの情熱に触れ驚いた記憶があります。笑 ウレㇱパクラブに入って、自分はアイヌの歌と踊りが好きなことには気づけたのですが、それ以上深掘りしてアイヌ文化を学ぶ気持ちにはなれませんでした。必要最低限なことはそつなくこなしていましたが、どちらかというと、少し冷静に淡々と過ごしていたかもしれません。アイヌ文化に深く没頭したいと強く思ったのは社会人になってからです。
編集部
社会人になり、どのような変化がありましたか。
梨乃
二風谷に戻ってアイヌ語教室の手伝いを始めた時に、私は歌と踊りが好きだったわけではなく、それしかできなかったのだと気づきました。二風谷では工芸もアイヌ語も学べるし、歌も、踊りもできます。これだけアイヌ文化のいろいろなことが学べる環境にいるのだから、アイヌ文化についてお願いされたことはなんでもできる人になることを目標にしました。
啓介
本人はそう言っていますけど、同級生として見ても「この人はできる人だな〜」と、みんなから思われていたと思いますよ。笑 なんでも器用にできるタイプですし、ウレㇱパクラブでの役割もしっかりと果たしていました。彼女自身は内心様々な思いや葛藤を抱えていたかもしれませんが。今年から彼女はアイヌ語のラジオ講座の講師もやっていますし、ロンドンのジャパンハウスではアイヌ文化を紹介しているのですが彼女はそこへ3度招かれています。
編集部
あ〜なんかわかる気がします。梨乃さんって、できる人オーラ出てますもんね。笑
梨乃
学生時代って、アイヌ文化の勉強に没頭できるモチベーションが無かったのかもしれません。
啓介
学生時代はギリギリの点数で合格を目指すような感じでしたが、今はまるで120%の成果を目指しているかのような印象です。笑
梨乃
今の私を動かしているのは、実は夫の存在が大きいです。
編集部
梨乃さんにとって、啓介さんのどんな点がモチベーションになっているんですか?
梨乃
なんででしょうね?笑 はっきりとした理由は自分でもわかっていませんが、夫がいなければこんなに頑張れない気がします。
現在の仕事について
編集部
大学卒業後すぐに、平取町アイヌ文化振興公社に勤めたのですか?
啓介
いいえ、今はないのですが、平取町地域活性化協議会に就職しました。
編集部
お二人は同じ時期に平取町地域活性化協議会に就職されたのですか。
啓介
はい、その通りです。現在はアイヌ文化に関連した業務をしていますが、当時は平取町の活性化に向けた業務に携わっていてその仕事も楽しかったです。現在は、二人とも平取町アイヌ文化振興公社で働いています。
編集部
平取町アイヌ文化振興公社でどのような業務を担当しているのでしょうか。
啓介
21世紀・アイヌ文化伝承の森プロジェクトに関する業務を担当しています。このプロジェクトは、イウォㇿという、アイヌが生活資源採集の場として活用してきた昔ながらの森を復元することを目的としています。森の再生を目指して苗木を植えたりしています。森を作ることによって、工芸の材料になる木々が育ったり、コタンコㇿカムイ(シマフクロウ)というアイヌ文化でも重要なカムイが平取町の森林に戻ってくるようになります。また、環境づくりと共にアイヌの狩猟文化を伝承するために狩猟などもやります。
編集部
狩猟免許を取得されたのですか。
啓介
実際に狩猟に参加したことはまだありませんが免許は取得しました。銃を購入すれば、狩猟に参加できる状態です。11月から狩猟を始める予定です。
梨乃
狩猟が無くなると、山に入る時のお祈りとか、狩猟後にする儀式など、関連する文化も失われてしまいます。だから狩猟の伝承もとても重要なのです。
啓介
獲物をどのように神聖化するか、また感謝の心を持って食べたりみんなで分け合うことも重要なアイヌ文化です。やはり大切なのは精神文化なのでしっかりと伝承できればと思います。
編集部
梨乃さんは現在、どのような業務をされていますか?
梨乃
アイヌ民族文化財団の「伝承者育成事業」の管理運営をしています。この事業は第五期から平取町で開催されておりその運営を担当しています。
編集部
伝承者育成事業とはどのような内容ですか?
梨乃
この事業は、アイヌ文化の技術や言語を網羅的に学び、それらを伝承する人材の育成を図ることが目的です。参加者は3年間でアイヌ文化の担い手として必要な知識と知見を深める研修を受けます。研修生をサポートすることも私の仕事のひとつです。今までは伝承者育成事業を受けた方が、サポート役を務めていましたが、私は受講生ではないので、私自身もアイヌ文化についての見識を深めながら皆さんをサポートしています。
編集部
ウレㇱパクラブでの経験が、現在の業務にどのように役立っていますか?
梨乃
私は二風谷で生まれ育ちましたが、実生活では学びきれないアイヌ民族の精神文化を学べたことが、今の仕事でとても役立っています。特にアイヌ文化に初めて触れる伝承者育成事業の研修生たちに対して幅広い知識をもって答えられるようになったのはウレㇱパクラブのおかげです。例えば、刺繍についてわからないことがあった場合、次に講師に相談できるまで作業が止まってしまいますが、私からアドバイスできれば研修生はよりスムーズに学習を進めることができます。
編集部
それは研修生も心強いですね。
梨乃
サポートする人がアイヌ文化を理解していないと研修生も不安になるので、できる限り幅広く支援できるよう努めていますし、それも仕事のモチベーションになっていると思います。
編集部
アイヌ文化の学びも含め、忙しい日々を送っていらっしゃるようですね。
梨乃
一般的には仕事と趣味の時間って別々だと思うのですが、私の場合、仕事を通じて好きなことを追求できるので、とても幸せだと感じています。仕事をしながら知見も広がり、やりたいことも実現できる。こんな恵まれた環境ってなかなかないですよね。笑
編集部
お二人はアイヌ文化伝承という共通の目標を持ち、職場でも家庭でも一緒にいられるので、目標達成のためには良い環境ですよね。
梨乃
お互いの業務についての理解が深まり、何でも相談できるので、モチベーションを保つのに理想的な環境だと思います。
啓介
妻は何事も覚えるのが早いですし、なんでも上手にやるので、僕の場合は「負けないぞ!」という思いも成長の糧になっていると思います。
編集部
お互いの存在がそれぞれの成長の糧になっているのは素晴らしいですよね。先ほど梨乃さんが、啓介さんが仕事のモチベーションになっている理由が明確にわからないとおっしゃっていましたが、こうやって詳しくお話を伺うとその理由はとてもよくわかりますね。
啓介
僕の場合、アイヌのルーツはないですが、そんな僕がアイヌ文化を真剣に学ぶことで、アイヌにルーツを持つ妻も、もっと頑張ろう!という気持ちになれているのかもしれません。
梨乃
私の母もアイヌにルーツは無いのですが、ずっとアイヌ文化の仕事をやっていて、アイヌに関する知識が豊富ではあるのですが、大事な場面になるとアイヌの人達を優先します。そんな母と夫が重なる部分もあり夫をリスペクトしています。
アイヌ文化伝承の難しさ
編集部
アイヌ文化を伝承するうえで難しいと感じることはありますか。
梨乃
アイヌ文化をガイドする際に、よく火の神様(カムイ)の話をします。私はアイヌですが日常生活で火を神様(カムイ)として意識することはありません。チセで暮らしているわけでもないし、狩猟で食事もしていません。しかしガイドとして紹介するアイヌ文化は古い伝統に基づくものなので、そこに違和感を感じますし、そこが伝承する際の難しいところだと思います。
編集部
どのようにしてその違和感と向き合っているのでしょうか。
梨乃
アイヌに限らず文化は進化するのが当然ですし、過去は過去、現代は現代として捉えて表現することで何らかの解決につながると思っています。私は、今の姿を発信したいし、伝えたいと思っていますが、しかし今があるのは先祖の努力の賜物なので今までの文化も大切にしたいとも考えています。例えば古式舞踊の体験では着物を着て踊りますが、踊りが終わったら必ず私服の姿で最後のご挨拶をするようにしています。そこまで含めて体験していただくことがとても大切だと思います。
啓介
僕はアイヌ語を伝えることが難しいと思います。木彫や刺繍と比べると、アイヌ語の勉強は難しい印象だと思いますし、もちろん勉強を強制することはできないので、まずはアイヌ語を学ぶことに興味を持ってもらえるような工夫も必要です。
編集部
アイヌ語の楽しさを伝えるために、具体的にどのような工夫をされていますか。
啓介
Instagramでアイヌ語の動画を発信しています。また、私たちが飼っている犬の動画にアイヌ語でアフレコをした動画をアップしています。
梨乃
犬好きな方は多いと思うので、きっと楽しんで見てもらえると思います。笑
編集部
それは良いアイデアですね!
編集部
映画『カムイのうた』のモデルである知里幸恵さんは、お二人にとってどのような存在ですか?
啓介
アイヌ文化伝承の立役者ですし偉大な方だと思います。僕はアイヌ語を勉強しているので知里さんの功績は良く存じ上げています。
梨乃
昨年、知里幸恵さんの生誕120周年を記念して、二風谷小学校では彼女の生涯をテーマにした演劇が行われました。この演劇を通じて、私は知里幸恵さんについてより深く知る機会を得ることができました。私が小学生の頃から二風谷小学校はアイヌ文化に関する学習機会が多いのですが、二風谷でも知里幸恵さんの功績は脈々と次の世代へと受け継がれています。
編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。