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シンガーソングライター 加藤登紀子さんインタビュー

シンガーソングライター 加藤登紀子さんインタビュー

北海道東川町では、アイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作しています。MouLa HOKKAIDOでは、2023年秋の公開に先駆け、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」を進行中。今回は東京を中心に、全国、世界で活躍中のシンガーソングライター 加藤登紀子さんに東川町との取り組みをはじめ、アイヌ文化や多文化共生について詳しくお話を聞いてきました。

百万本のバラで結ばれたご縁

編集部
今日はよろしくお願いします。
加藤さんが東川町に足を運ばれるようになって久しいと思うのですが東川町との最初の出会いはいつ頃ですか?

加藤
確か1992年だったと思います。私が歌っている「百万本のバラ」が縁で東川町と出会いました。「百万本のバラ」の原曲である「マーラが与えた人生」は、北欧バルト三国のラトビアで1980年代初頭につくられた流行歌なのですが、作曲者である、音楽家でラトビア文化相も務めたライモンズ・パウルズさんが、文化相当時の1992年に来日されて、東川町でピアノコンサートを開催されたと思うのですが、実はその時私も札幌でパウルズさんにお会いしていまして、その頃に東川町とのお付き合いが始まりました。まさに「百万本のバラ」が繋いでくれたご縁です。東川町とラトビアは姉妹都市ですよね?

編集部
そうですね、2008年にラトビアのルーイエナ町は東川町と姉妹都市になっています。なんか運命的なご縁を感じますね。

加藤
出会いのきっかけは「百万本のバラ」ではあったのですが、東川町に何度も足を運ぶうちにこの町の美しい風景や、町の皆さんの人情の機微に触れ、東川町自体の魅力に惹かれるようになり、気がついたら何年も経っています。

編集部
加藤さんは、いつも東川町に関心を寄せてくださっていて、雑誌のインタビューやご自身のブログでも東川町のことを紹介してくださっていていつも嬉しく思っております。
ちなみに1992年に初めて東川町と出会う前は、東川町のことはご存知でしたか?

加藤
1970年の2月に北海道でコンサートツアーを行った際に旭川や近郊の町までは来ていたのですが、その時はまだ東川町のことは知らなかったです。


加藤さんの東川町との主な交流
・2016年10月 東川町複合交流施設「せんとぴゅあⅠ」のこけら落としとして「百万本のバラコンサート」を開催
・2017年 東川を応援する歌「ここは地球のどまん中」を作詞作曲し、町民や留学生らによるコーラスを交えた演奏をCDに収録
 ※この曲は町立東川日本語学校の校歌として定着している。
・2022年5月 隈研吾氏デザイン設計によるサテライトオフィス「KAGUの家」オープニングレセレモニーでのトークショー・ミニコンサート開催
・2022年9月 東川町でコンサート。ロシア侵攻を受けるウクライナから旭川市に避難したサハリン残留日本人の降旗氏を招待
・2022年11月 2026年東川町に開設予定の「KAGUデザインミュージアム」の“建設支援の会”に賛同

アイヌ文化との出会い

編集部
加藤さんはアイヌ文化にも造詣が深いと思うのですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

加藤
1971年の夏、「知床旅情」がヒットした際に知床を訪問したことがあるのですが、その時にウトロの「酋長の家」というお店でアイヌの皆さんが歓迎会を開いてくださいました。その時アイヌの人たちがお祝いのカムイノミをして下さったのです。それが私とアイヌ文化の初めての出会いです。

編集部
どのような歓迎をしてもらったのですか?

加藤
印象的だったのは、その時にムックリをいただいたのですが、私が泊まっている宿まで来て、ムックリの演奏を教えて下さいました。それがきっかけでアイヌ民族や文化との関わりが深まっていきました。1972年に阿寒湖に行った時にも歓迎のカムイノミをやっていただいたことがあります。

編集部
加藤さんが作られる音楽にもアイヌ文化との関わりはありますか?

加藤
梅原猛さんからアイヌの歌を歌って欲しいと言われたことがあり、その時に北海道を代表するアイヌ文化の研究者の一人でもある藤村久和さんのところに行って、泊まり込みでアイヌ語の歌を教わったことがあります。

編集部
そうなんですね。実は藤村先生には今回東川町で製作した映画「カムイのうた」でも言語や文化や伝統様式などトータルで監修してもらっています。

加藤
他にもアイヌユーカラを研究している方が書いた詩に曲をつけた「シララの詩」という楽曲も歌っています。

以前、永六輔さんがアイヌ語の地名だけで歌を作ろうとおっしゃったことがありました。日本各地にはアイヌ語の地名があって、例えば東京の「日暮里」ってアイヌ語なんですよ。東京にアイヌ語の地名があるなんて意外ですよね。日本中にアイヌ語の地名があるからそれを歌にできたら面白いねって話していました。実現はしませんでしたけどね。笑


多文化共生について

加藤
大雪山の麓では現在もアイヌ民族は暮らしているのですか?

編集部
自然環境的に大雪山の麓で暮らすことは難しいので生活実態はないのですが、大雪山旭岳の山開きにあたり、登山者の安全を祈る祈願祭としてアイヌ語で「山の神に祈る、山の祭り」を意味する「ヌプリコロカムイノミ」を実施しています。アイヌの伝統儀式や古式舞踊や大きな焚き火や一般観覧者も参加できる松明行列も実施されます。アイヌの伝統的な舞踊や歌が披露され、最後には会場の参加者が一つの大きな輪になって踊る幻想的な祭りで、かれこれ60年間続けています。

加藤
それは素晴らしい取り組みですね。
東川町はなぜアイヌ民族に関わる取り組みを続けているのですか?

編集部
東川町の取り組みの一つとして「多文化共生」があります。以前、東川町の代名詞にもなっている「写真甲子園」をテーマにした映画「写真甲子園 0.5秒の夏」を海外で上映をしたことがあるのですが、これも「多文化共生」の取り組みのひとつです。また今回制作した映画「カムイのうた」も国内の映画館で上映した後は、10カ国の字幕をつけて海外でも上映予定なのですが、これもまた「多文化共生」の一環です。北海道の文化としてアイヌ文化を紹介したり、北海道の象徴でもある大雪山の文化を伝えることで東川町が多文化共生社会を目指していることを伝えていきたいと考えています。

加藤
東川町がアイヌ文化をテーマに様々な活動をされている背景には「多文化共生」があったのですね。

編集部
加藤さんも音楽を通して多文化共生につながる活動をされていると思うのですが、その際にこだわっていることなどありますか?

加藤
東川町の日本語学校にはとても共感をしていて、何度が訪問して歌を歌ったこともあるのですが、これだけ様々な国から学生が集まっている日本語学校も珍しいですしとても有意義な取り組みだと思います。複数の文化が混ざり合うことで、世界の見え方って変わりますよね。私もこれから海外でコンサートの予定があるのですが、行く国によっては「百万本のバラ」の歌詞の意味をどう伝えるべきか?を考える必要がありますし、このことは私自身とても興味があるテーマでもあります。「多文化共生」って口で言うのは簡単ですが実現するのは大変。

編集部
それぞれの国で事情も違いますしね。


加藤
例えばインドは25ヶ国語くらいの言語が使われているというのですが、そうなると例えば環境問題の教科書を作ろうとしても、25ヶ国の言語の教科者が必要になるので、実際は教科書が思うように作れないと言う問題があるそうです。これはほんの一例ですが、つまり多文化、多言語といってもそれを実現するのはとても難しいことがわかりますよね。

現在、日本語訳詩家協会の会長を務めているのですが、以前司馬遼太郎さんが話されていましたが、日本ではいろんな国の言語を日本語に訳す努力を先人たちがしてきた。小説にしても音楽にしても、誰かが日本語訳をしていた。だから私たちは、外国の本や音楽を日本語で理解し学ぶことができたわけですが、これは世界を見ても珍しいらしく、司馬さんいわく日本人は稀有な民族だとおっしゃっていました。

編集部
それが普通だと思っていましたが、確かに先ほどのインドの話もそうですし海外に目を向けると珍しいケースだということがわかります。翻訳することで効率的に言葉の意味は伝わるかもしれないですが、逆にどうしても伝えきれない意味やニュアンスも出てきますよね。本当の意味で、言葉で多文化を共有し合うことは一筋縄ではいかないということですよね。

加藤
今回の映画「カムイのうた」のモデルになった知里幸恵さんもきっとその悩みはあったのではないでしょうか?

編集部
アイヌ語が持つ真意をどう伝えるべきか?ですね。

加藤
石村博子さんの本で読んだことがあるのですが、知里幸恵さんはアイヌ語を表現する際に発音で苦労したようです。アイヌ語は、文字文化ではなく口頭伝承なので、それを文字化する際にアイヌ語が持つ意味や大切なニュアンスが変わってしまうことを危惧されていたようです。そこで、可能な限りアイヌ語の良さが伝わるように、あの当時として珍しく漢字ではなくひらがなで日本語訳をしていたようです。また、それに金田一さんも賛同し知里さんを認めていたようで、そのような環境があったからこそ知里幸恵さんの功績が現代にしっかりと伝わっているのだと思います。

編集部
まさに現代の「多文化共生」の取り組みの難しさに通じる苦悩ですよね。

加藤
東川町にアイヌの方がたくさん暮らしているわけではないけど「多文化共生」という普遍的な意味と繋げて、言語のことに限らず、これから自然と人間がどのように折り合いをつけていくと良いか?アイヌ文化をその理想的なライフスタイルのプロトタイプとして向き合い、アイヌ文化からいろいろ学んでいることはとても素晴らしいと思います。

編集部
アイヌ民族が守り続けた生き方を学びたいと思う人たちも増えてきましたし、だからこそ今改めてアイヌ文化が注目されているのかもしれません。

加藤
東川町がアイヌ文化と向き合っていることはとても有意義なことだと思いますし、とても尊敬し敬服しております。ぜひ映画「カムイのうた」もたくさんの人に観ていただけると嬉しいなと思います。

編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。


この記事を書いたモウラー

編集部

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