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【街歩き研究家】和田哲さん~街歩きが好きになったきっかけとは?

【街歩き研究家】和田哲さん~街歩きが好きになったきっかけとは?

街歩き研究家の和田哲(わだ・さとる)さん。
札幌の歴史に詳しく、札幌の情報誌『O.tone』の「古地図を歩く」の連載を担当されていたり、新聞・ラジオ・テレビなど様々な場で、専門家として発言されています。
また、2022年7月には札幌市制100年記念講演会に登壇し、秋元克広市長とも対談されました。

和田さんのYouTubeチャンネル「ブラサトルチャンネル」では、そんな札幌の歴史などを分かりやすく動画で解説・まとめられています。

今回はそんな和田さんが、街歩きや古地図に興味を持ったきっかけをお伺いしました。

古地図の趣味を持つようになったきっかけ


「線路がくねくねしている」ことを不思議に思った子供時代

電車通りで生まれ育って、どこに行くにも電車に乗っていました。
そこで一つ疑問に思ったことがあって、札幌は条丁目で表される碁盤の目の街だっていうことは知っていたんですけども、なのに何で東本願寺前の線路がくねくねしているんだ?と不思議に思ったんです。

それから地図を実際に見てみると確かに曲がってるんですよ、東本願寺前の電車通りだけじゃなくて、山鼻の街そのものが曲がってるんです。

実際に地図を見てみる


上が札幌の都心(ピンク)で、下が山鼻地区(緑)で色分けしたものです。

地図を見ると見事にはっきり分かれているんです、すべての道路がここから曲がっていて、すごく境界線がはっきりしているんです。まるで2つの街がドッキングしたかのように。

くねくねしているっていうのは赤丸のあたりなんですよ。
ここを走ってきた電車がまず右に何度か曲がって、何度か戻るんです。
そして、この札幌の都心と山鼻とで4度曲がってるんです。

この時は、やっぱり曲がってるんだで、終わってしまってその理由までは調べなかったんでけど、それから地図に魅せられまして、地図好きな子供になったんですよ。

地図を見ると分かること

地図を見ると色んなことが分かるんです。
例えば、札幌市と小樽市の境界線が川だったりするんですけども、それは昔の川の通りにくねくねと曲がった境界線になってるんです。
ただ、今の川は工事で真っ直ぐになったんですが、境界線は相変わらず曲がったままなんです。なので、川の向こうが札幌市だったり小樽市だったりするわけなんですよ。

あと、旧道も結構残ってて有名なのは国道230号線石山通に旧道がいくつかありますね、簾舞のところにもありますし、琴似街道もそうですね。環状通の東側に環状通に沿うような細い斜め通りがあるんですが、それが琴似街道っていうんです。
山鼻屯田兵村と琴似屯田兵村を連絡する道で、それが円山村のメインストリートだったんです。

街歩きを好きになったきっかけ


東京での街歩きと札幌の街に対するコンプレックス

東京で12年間働いたんですけども、その時に元々地図好きだった血が騒ぎまして、東京はまた古い街道とかがいっぱいあるわけですよ、歴史もありますし。
それで、昔の街道を歩いてみたくて、東海道は色んな人が歩いているのでそれじゃあ面白くないから、青梅街道という街道を歩いたんです。

それを今の青梅街道ではなくて、古地図とか文献を調べて江戸時代の旧道に沿って歩いたんです。だから時々住宅街の中に入ったり、小径に入ったりしながら。

東京ってすごいのは、旧道がちゃんと残ってるんですよね。
そこに昔のお地蔵さまがあったりとか、江戸時代から営業している酒屋があったり、旅籠屋(はたごや)の建物が残ってたりするんです。

それに引き換え、札幌はなんて歴史がないんだろうと、道路も真っ直ぐで単純で。
街歩き的には面白くないなと思って、ずっとコンプレックスを持ってたんです。

子供時代の疑問を深堀

そのあと東京から札幌に帰ってきまして改めて札幌の地図を見直してみると、ちょっと待てよと。
そういえば子供の頃に疑問に思ったまま解決しないでいた、東本願寺のくねくねを思い出したんです。

それで、調べてみると結構面白い話が色々出てきたんですよね。
前段でお話した、『4度曲がってる』っていうのは実は明治時代から始まったことなんです。


札幌で一番古い道は、島判官が作ったが小樽銭函から札幌に来る道の南1条通なんですね。
そして、元々江戸時代に大友亀太郎が掘っていた『大友堀』。それが丁度直角に交わる場所が札幌で一番最初の十字街です。

そして、南1条通ができたところで島判官は予算の使い過ぎでクビになってしまうんですね。
札幌は周りの農村から作るっていう事に方針が変わったわけです。
それから山鼻や琴似が開かれたんですけども、琴似の街は街道に角度を合わせて、平行になるように作られたんです。
だったら、山鼻も南一条通に合わせて作ればいいじゃないですか?
でも何故か合わせなかったんですよ。こんなに近いのに!

それで、この開かれた石切山道(石山通)ですね、なぜか直角じゃなく4度曲げてくっ付けられてしまったわけです。
そのあとの街がすべてこの骨組みに肉付けするように発展したので、札幌は前段の画像のようになってしまったわけです。


札幌の歴史の面白さに気づく

測り間違えたんじゃないかとか、北の方角の基準を間違えたんじゃないかとか。
あとは島判官は佐賀藩の人で山鼻屯田兵村を作った黒田清隆は薩摩藩の人だったので、その辺で行き違いがあったんじゃないかという説もあります。

明治の頃の何があったかまでは、はっきりと突き止められないんだけれども、何かがあったらしいという出来事が、現代にも影響を与えているっていうのが面白いですよね。

このことで札幌の歴史の面白さに取りつかれてしまいまして、それで調べてみると、色んなことが出てくる出てくる!僅か150数年しか歴史がないんですけども、だからこそっていう面白さがあるんですよ。

ある人とある人が仲が悪かったとか、ある人がずるいことをやったとか、そういう人間臭いことが100年以上も影響を残していたり、街並みに影響を与えてたりするんですよね。

そしてそれを、掘り起こせば掘り返せるっていう面白さがこの街にはあるんですよね。


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