【札幌】「狸小路」となぜ呼ばれてる?狸小路1丁目に"狐小路"と呼ばれる十字路がある?
ブラサトルこと和田哲さんは、札幌を中心に北海道の地理・歴史が大好きな"街歩き研究家"。
NHKのテレビ番組「ブラタモリ」の札幌編に案内人として登場したあの方といえば、お分かりの方も多いのでは?
MouLa HOKKAIDOでは、ステレオタイプではない道内各地の情報を発信してくれる仲間として、今後公開を予定している特集記事のひとつ"もうらの村"に和田さんを"村びと"のひとりとしてお招きしました。
まずは和田さんの紹介を兼ねて、彼のYouTubeチャンネル「ブラサトルチャンネル」の中から、人気のあるコンテンツをダイジェストでいくつかご紹介していきます。
今回は「『狸小路』となぜ呼ばれてる?」をピックアップ!
なぜ「狸小路」と呼ばれるようになったのか?
なぜ「狸小路」と呼ばれるようになったのか?
元々は単なる仲通りに過ぎなかった狸小路に1873(明治6)年、劇場が建ちます。
人出を当て込んで周辺に飲み屋さんが立ち並ぶようになり、そこに出入りするひとたちに客引きをする娼婦たちが現れるようになりました。
その様子から「あそこへ行くと美人の狸(娼婦)に化かされるぞ」と言われるようになったことから、狸小路と言われるようになった説が有力なんだそう。
狸小路の1丁目に"狐小路"と呼ばれる十字路がある?
狸小路の中で1丁目にだけ十字路が存在します。
この狸小路と直角に交わった仲通りを昔は「狐小路」と読んでいたそうなんです。
元々は終点だった2丁目にあった酒屋「三国屋」が敷地内に細道を通しました。
この狸小路の延長線上の道は「弁天小路」と呼ばれるようになり、この小路ができたことで南北の仲通りにも人の流れが多くなります。
そこにもやはり娼婦が出没するようになり、"狸と狐の化かし合い"のことわざになぞらえ、こちらは「狐通り」と呼ぼうとなったそうなんです。
また、弁天小路の突き当たりには「勧工場(かんこうば)」(現在のデパートのようなもの)があったのですが、ここが火事で消失したことにより、創成川まで突き抜ける形となったことで、現在の狸小路1丁目が出来上がりました。
狸小路5丁目だけ50cmズレている理由は?
狸小路5丁目だけ50cmズレている?!
確かに上の画像を見てみると、アーケード内の中央につく照明とビジョンが5丁目だけ北側に50cmズレているのが分かります。
これは狸小路が商店街になる前の明治の初めころ、狸小路5丁目には開拓使の官舎がありました。
そのため、周りと土地の区画割りが異なり、この微妙なズレが生じてるのでは?というのが和田さんの見立てだそうです。
最後に
狸小路の秘密、いかがでしたか?
和田さんのYouTubeチャンネル「ブラサトルチャンネル」では、丁寧な口調でよりディープな部分まで掘り下げています。興味のある方は、ぜひ動画もチェックしてみてください!