
【小樽】7年ぶり一般公開!歴史が動いた重厚な洋館「旧日本郵船小樽支店」と絶品グルメ巡り
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旧日本郵船株式会社小樽支店では、長期の保存修理工事を経て2025年春、約7年ぶりの一般公開が再開されています。「歴史が動いた現場」を目撃しに現地を訪れました。
ニシンと物流の小樽から資本の動きに下支えされる「北のウォール街」小樽への転換点とは
ポーツマス条約から始まる日本の列強諸国入りを決定づけた場所
ポーツマス条約と樺太境界画定委員会の関係
旧日本郵船小樽支店。1906(明治39)年10月、この麗しきヨーロッパ風の会議室に集まった日露の樺太境界画定委員たちの手元には、ポーツマス条約の写しがありました。それは、日本語でもロシア語でもなく、外交の共通言語であったフランス語と英語で綴られていました。
ポーツマス条約は、日露戦争の結果を受けて米国のポーツマスで持たれた会議で締結されました。その日、1905(明治38)年9月5日から1年近く、日露間の境界画定は、現地でとのことで極東で会議が重ねられました。
1回は樺太、2回目からは小樽で、日露による樺太境界画定委員会が4回開催され、最終的な合意が決定されたのが1906(明治39)年11月です。2025年春からリノベーションを経て見学が再開された旧日本郵船小樽支店は、この重要な会議の場でした。
日露戦争後に勝敗に基づいた戦後処理の場はアメリカのポーツマス。そして当事者が日本と、ソ連へと変わる前夜のロシア帝国です。
この委員会開催、小樽が「北のウォール街」へと向かう転換点といえます。1906(明治39)年に建てられたこの旧日本郵船小樽支店で、ポーツマス条約そのものが調印されたわけではありません。条約が結ばれたのは、遥か彼方、アメリカの大西洋岸でした。
当時、新築された直後の日本郵船大会議室は、日本の「韓国領有(併合)」への起点となり、北緯50度での樺太/サハリン境界画定という冷徹な国際プロトコルが動き出したとき、その「戦後処理のリアルな現場(樺太境界画定委員会による会議場)」として選ばれました。
日露戦争、そしてその締めくくりとしてのポーツマス条約と小樽での境界画定。日本に国際政治への参画が認められた瞬間です。日本が「東洋の超新星」から「世界の列強」へと完全に組み込まれた折り返し点は、小樽に刻まれることとなったのです。
日本郵船小樽支店の建造と会議の関係
日清戦争(1894-1895年)では勝ちますが、日本は「アジアの小国」と侮られ、三国干渉で遼東半島を返還することになりました。そこからわずか10年、ロシアと戦い、ついに世界の「五大国」として認められた歴史の磁場を伝える場所が、この小樽の洋館です。
日本郵船小樽支店は、小樽の建築群の中でも群を抜いて、見事な明治建築です。入り口の前には、大きな真っ白な噴水が。建物に近づくと、こった作りの左右からアプローチできる入り口には、鉄の真っ白に塗られた柵が開かれていて、両側から入れます。
中に入ると、明治時代の上質な木製でできたオフィス空間が広がります。かつて事務員の男性の脇で女性がタイプライターを叩いたであろう机が並んだエレガントな空間です。奥にある金庫室の前を通りすぎ、フロアの端から階段を通って2階へ。順番としては、見学者は先に貴賓室を正面から見て、その内側の扉から大会議室へと入室します。
史実としては、旧日本郵船小樽支店の2階に上がった代表団は、先に大会議室に通されました。巨大な空間に、見事な、1906(明治39)年当時の通りに鈍く金色に輝く壁紙が復元されて一面に張られ、真ん中にはテーブルと椅子が。厳かでありながらも瀟洒で華麗です。
2階の大会議室、ここは世界史的な意味で歴史に残る特別な事実が焼き付けられた場所です。日本では、「窓側が上座、廊下側が下座」というルールが建築を含め伝統的な席次。委員会では、戦勝国である日本が上座(窓側)に陣取り、敗戦国側のロシアを下座(廊下側)に座らせました。
ポーツマス条約で、朝鮮(韓国)への権益が認められただけでなく、この委員会を機に、日本は一流国としての世界的な立ち位置を確立しました。
言い換えると、ここから日本も帝国主義全盛時代に突入したことになります。上座を取り、かつロシア代表がこの空間を見た時に、圧倒されるような演出が計算されていました。こうした点で、旧日本郵船小樽支店は、壮絶な歴史的磁場ともなったのです。
日本郵船は、間違いなく小樽が「未来の巨大な経済・物流の拠点」になると確信し、その「王座」を占めるために豪華な社屋を建てました。
北のウォール街はどのようにできたのか
1880(明治13)年に鉄道が内陸の幌内炭鉱から小樽港までを繋ぎます。小樽港は、本州からの開拓物資や移民、そして北海道からのニシンや農産物がすべて集まる「北海道の心臓」へと急成長していました。
海運界の覇者であった日本郵船にとって、この北海道の玄関口である小樽は「絶対に負けられない最重要拠点」だったのです。そこに、1903(明治36)年の火事で社屋が焼ける出来事があり、超豪華な建物を威信をかけて建造します。
「北のウォール街」という金融街としての発展は、日本銀行や各都市銀行が後から進出してきたことで形成されます。その引き金を引いたのは、日本郵船が支えた「圧倒的な海上物流と、それに伴う富の集中」でした。
ポーツマス条約に伴う国境画定委員会の舞台となった旧日本郵船小樽支店は、現在、国の重要文化財に指定されています。美しさに思わずため息がでるような建築です。
史実は雄弁です。太平洋圏における「帝国の時代」は、日本の第二次世界大戦における敗戦とともに終結へと向かいます。戦後の国際秩序へと向かったことで、この空間へは、幸いなことに、現在ではノスタルジーを感じつつ身を置くことができます。
旧日本郵船小樽支店の、貴賓室や重厚な佇まい。歴史の決定的な瞬間に使われた空間が、今も小樽の潮風の中に残されていることは、驚きでもあります。
- 住所
- 小樽市色内3丁目7番8号
- 電話番号
- 0134-22-3316
- 備考
- 開館時間|9:30〜17:00
休館日|火曜(祝日の場合は翌平日)、 年末年始(12月29日から1月3日まで)
入館料|一般 300円
今、小樽に出かけるなら、ぜひ立ち寄りたいお店
鮨を口にする贅沢なひとときから訪問を始めては
鉄道で小樽にたどり着くなら、日本海の青い海沿いに快走する列車の車窓から、すでに港へと向かう気持ちが高まります。小樽駅改札を出たら、上を見上げて、また少し駅の外から正面を見てみましょう。石油ランプがずらっと天井まで並べられた空間ディスプレイと、駅前から海までまっすぐに開けた空間に、息を呑みます。
小樽と鮨は切り離せません。小樽駅構内ではなんと、粋に、探訪をお鮨から始めることができます。「伊勢鮨 駅中店」では、目の前で極上のお鮨を握ってもらえます。ミシュランの星付きのお鮨を前に期待に胸を躍らせるひとときは、贅沢な一瞬でもあります。
- 住所
- 小樽市稲穂2-22-15 小樽駅構内
- 電話番号
- 080-2873-3391
- 営業時間
- 11:00〜14:30
- 定休日
- 毎週水曜、第1・第2・第3火曜
- 備考
- 予約不可、椅子なし
街歩きのあとにはワインを片手にオープンサンドとともに鉄道を感じて
北海道は、実は「青春18きっぷ」のポスター・イメージに採用された絶景や名場面があちこちに広がっている、線路の風情が素敵な場所。
小樽駅脇の三角市場の横を抜けた先、船見坂にある「坂と線路とバゲットと」は、宿泊施設でありながらランチとディナーにバゲットを主役にしたメニューを出す2026年春にできたユニークなお店です。
札幌の人気ベーカリー「boulangerie coron(ブーランジェリー コロン)」が小樽に出店しました。大泉洋などを輩出した演劇ユニット「TEAM NACS」などが所属する北海道の芸能事務所「クリエイティブオフィスキュー」が運営していることで知られています。
歴史の重要な舞台に興奮し、小樽芸術村の美しい街並み景観に見惚れ、藤田嗣治の《カフェにて》を筆頭に名画を堪能したあと、熱った体を小樽ワインと軽食で冷ましましょう。
ちなみにランチの人気メニューはバゲット・キッシュとのこと。
カウンターから見える線路を列車が通ると、海辺を通って来たのとはまた別の北海道らしさを噛み締めることができます。
- 住所
- 小樽市稲穂3丁目22-1 2階
- 電話番号
- 0134-23-1006
- 営業時間
- 11:00〜21:30(L.O. 21:00)
※時期により変動あり - 定休日
- 不定休
- 備考
- 月毎の定休日予定が記載されたカレンダーはインスタグラムを参照
国際プロトコルと資金移動の結節点となった、旧日本郵船小樽支店。金革壁紙が往年の熱量を放つあの会議室のただならぬ磁場に身を浸したあとは、現代の小樽の日常へとふらりと戻ってみては。
ちいかわのアンテナショップに列するのとは一味違う小樽へようこそ。地政学と資本の骨格が今なおストリートの佇まいに息づく小樽は、大人の思索を満たしてくれる、底知れない港町です。
