
東京ワイルズ新時代!釧路から東京へ移転、代表と監督が語る挑戦の第二章 | アイスホッケー
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釧路というアイスホッケーの聖地から、あえて東京という未知の地へ。
東京ワイルズの移転は、多くの波紋を呼んだ。
しかしその裏には、“アイスホッケーをもっと多くの人に届けたい”という覚悟と戦略があった。
岡本代表と齊藤監督に、移転の真意と、これから東京で描くビジョンについて聞いてみました。
北海道ワイルズの誕生そして釧路から東京へ
代表・監督の自己紹介とお二人の出会い

MouLaHOKKAIDOの加藤です。
本日は北海道釧路市から東京へ移動して活動する東京ワイルズ代表の岡本さん、監督の齊藤さんにお越しいただきました。
よろしくお願い致します。
東京ワイルズの代表をしています岡本 博司です。よろしくお願いします。

東京ワイルズの監督をしています齊藤 毅です。 よろしくお願いします。


チームが誕生してちょっと時間が経ちましたが、2人の出会いから、なぜワイルズになっていったかなど、色々お聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
はい。よろしくお願いいたします。
3年前、2022年の6月頃だったと思います。私の会社「共同設備工業」では、税務関係を札幌の税理士さんにお願いしているので、毎年、幹部を連れて決算報告と慰安旅行を兼ねて札幌に行ってるんです。
そのときに、札幌で仲の良い同業者の友人と飲みに行ったんです。たまたま、その友人がスポンサーをしていたのがクレインズだったのですが、その監督が毅君で。紹介された場所がバーというか…スナックというか(笑)…まあ、そんなお店でしたね。
友人が「とにかく毅君はいいやつだから応援してやってくれ」って強く言うので、そこが最初の出会いです。

札幌のスポンサーの方から「名古屋の方だよ」と聞いていたんですが、初めてお会いしたのはスナックだったんです(笑)。その場で軽く挨拶して、ほんの10分ほどお話をさせていただいたんですが、そのときに「スポンサーになるよ」って言ってくださったんです。
ただ、正直なところ、自分はそれを社交辞令だと思ってしまって…その後、こちらからは連絡をしなかったんですよ。
名古屋にお住まいで、アイスホッケーにも北海道にも縁がない方が、本当に支援してくださるなんて、夢にも思っていませんでした。
ところが3日後、岡本社長から「なんで連絡くれないの?」って、電話をいただいたんです。あのときは、本当に驚きましたし、同時にすごく嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。

スポンサードを決めたきっかけから北海道ワイルズ誕生まで

協賛を決めるまで時間はかからなかったようですが、どんな想いがあったんですか?
友人がずっと、「毅は本当にいいやつだ」って言ってたんです。僕自身は当時まだ直接話したことはなかったんですが、実際に喋ってみたら、本当にその通りでした。
結局、それがすべてですね…。真っ直ぐな瞳っていうか、ちょっと気持ち悪く聞こえるかもしれませんけど(笑)、でも、そういう部分に惹かれました。

それを聞くと胸が痛いです、、、

岡本社長がどのようにクレインズを応援していったのか。

当時、クレインズを応援するという約束から、現在の東京ワイルズに至るまでに、どんな経緯や転機があったのでしょうか? そのあたりを少しお聞かせいただけますか。
その後、すぐにスポンサーとして支援させていただくことになったんですが、9月からシーズンが始まるということで、8月に一度釧路を訪ねました。
そのときは、キャプテンや数名のチームメンバー、そして毅君と一緒に、食事をしながらお酒を交わす機会があって、みなさんの人柄にも触れることができました。
そして9月に入り、実際に初めて試合を観に行ったのが、横浜でのグリッツ戦でした。試合を観て、改めて「これはすごく魅力的な競技だ」と感じましたね。
よく考えてみれば、試合を観る前からスポンサーとして応援し始めていたんですよね。今振り返っても、ちょっと不思議な流れだったなと思います。

その後も、何度も釧路まで足を運んでくれて、帯広にまで来てくれたんです。
二人でワインを飲みながら、へべれけになるまで語り合ったこともありました(笑)。
そういう時間を積み重ねるなかで、少しずつですが、お互いの信頼関係や想いが深まっていったんじゃないかと思います。

そういう付き合いが続いていて、年が明けた頃だったと思います。クレインズの経営状況が悪化して、選手たちに給料が支払われていないという話を初めて聞きました。
2月には、あくまで1スポンサーという立場ではありましたが、選手全員を集めて、食事会というか親睦会のような場を設けたんです。お店を貸し切って、「少しでも応援したい」という思いで開催しました。

当時は、そんな状況が続いていて、本当に苦しい時期でした。
それでも、なんとかお客さんに楽しんでもらいたい!、アイスホッケーを盛り上げたい!という想いで、全員が必死に取り組んでいたんです。
でも、やっぱり精神的にもどんどん疲弊していく中で、岡本さんが本当にすごかったんですよ。選手全員に向けて、大量のお米や食材、生活用品をAmazonの段ボールで何箱も送ってくださって。
あのときの気持ちは、単なる物資以上のものでした。
「俺たちはひとりじゃない」「誰かが応援してくれている」そう感じられたことで、本当に救われたんです。
苦しかったけど、負けたくない。あのときの僕らは、あの支えがあったからこそ、前を向いて戦えたと、今でもはっきり覚えています。

選手たちとは、本当にたくさん交流させてもらいました。
立場としてはあくまで“いちスポンサー”なんですが、正直、そういう枠を超えていた部分もあったと思います。迷惑に感じた方もいたかもしれませんが……それでも、「なんとか皆を助けてあげたい」という気持ちでいっぱいでした。
自分たちなりに必死だったし、選手たちも必死でしたよね。お互いに、なんとか踏ん張って、前に進もうとしていた。今振り返っても、あの時間は特別でした。

支払われない給料と疲弊していくチーム

ニュースなどで状況は見聞きしていましたが、実際にその渦中で、監督としてチームを引っ張っていく立場というのは、想像以上に大きな苦悩やご苦労があったのではないでしょうか?
あの年の12月頃から、徐々に給料が支払われなくなっていきました。
バイトをしながら生活をつなぐ選手もいて、それぞれがいろんな思いを抱えながら、激しい練習をこなして、試合に向かう毎日でした。
3月になっても、結局給料が振り込まれることはなくて……。
「どこにモチベーションを置いたら救われるのか」なんて、そんなことを思いながらも、みんな必死に戦い続けていた。あの姿は、今でも忘れられません。
一緒に戦ってくれた選手たちには、申し訳なさもあるし、何より「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。
そして、当時たくさんの温かい言葉をかけてくれた釧路の皆さん、北海道の皆さんの応援が、僕たちの支えでした。本当に感謝しています。

解決策が見えないまま、ただ時間だけが過ぎていく日々でした。
そのなかで、選手たちはどんどん疲弊していきましたし、毅君も……目に見えて、気力が落ちていくというか、どんどん小さくなっていくように感じたんです。
そんな姿を見ているうちに、「もう、見ていられない」と思ってしまって。
当面の選手とその家族たちの生活をどうにか支えたいという思いで、私の私財から選手の約二ヶ月分の給料に当たる金額をお渡しさせていただきました。
かなり悩みましたが、ただあの瞬間に、そうするしかなかったんです。

あのときは、本当に選手と一緒に泣きました。
それまで、どうにもならない現実と向き合って、何度も歯を食いしばってきたけど、ようやく少しだけ前に進めるかもしれない…そんな瞬間だったんです。
熱い思いが込み上げてきたのと同時に、仲間を少しでも支えられる安心感というか……うまく言葉にできないんですが、とにかく心の底から救われた気がしました。
岡本社長にはもう感謝しかありません。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

それでも足りない給料や運営費

お話を聞いていて、私自身も胸が熱くなりました。それだけ大変な時間を過ごされていたことが、よくわかります。
岡本さんのサポートは、たとえ一時的なものだったとしても、間違いなく心の支えになったんだと思います。
ただ、当然そのご支援だけですべての生活費をまかなうのは難しかったはずですよね。その後、選手やスタッフの皆さんの生活は、どのように変化していったのでしょうか?
当時、クレインズをなんとか救おうという動きが、少人数ながらも出てきていました。
私自身も何度も釧路に足を運び、いろいろな方と相談を重ねながら、可能性を模索する日々が続いていました。
それでも、あのとき選んだ道が本当に正しかったのか、今でも答えは見つかっていません。
けれど最終的には、「一度クレインズを解散し、新たなチームとして立て直すしかない」という判断に至りました。

選手も、そして私自身も、チームや会社、そして釧路という地域に育ててもらった立場なんです。
だからこそ、ただの「不安」とか、そんなちっぽけな話じゃなかった。もっと深いところでの葛藤が、ずっとありました。
何度もみんなで集まって話し合いましたし、どうにか続ける道を探し続けていたんです。
でも、チーム側からは結局、明確な解決策は出てこなくて、次第に連絡も取れなくなっていきました。
「チームを守りたい。」「名前を残したい。」そういう想いが強くある一方で、目の前の現実はどんどん“雲を掴むような感覚”になっていったんです。気づけば、実態そのものが、少しずつなくなっていくようでした。

実際、クレインズを守りたいという想いで動いてくださった地域の方々も多くいらっしゃって、支援金を出していただいたりして……そのおかげで、選手の給料などは一時的に支払われるようになりました。
ただ、スタッフの分まではとてもまかないきれない状況で。
チームとしても、運営の根幹を支えるスタッフが生活できないとなると、それ以上先に進むことは難しくなってしまうんですよね。
結果として、選手もスタッフも、気持ちがあってもどうにもならない状況に追い込まれていきました。

有志で立ち上げた北海道ワイルズ

その後については、いろいろな出来事があったとうかがっていますが、今ここで何が真実だったのかを深掘りすることが目的ではないと思っています。
ですので、岡本さんが「東京ワイルズ」の代表を引き継がれたあたりからのお話を、あらためてお聞かせいただけますか?
ひがし北海道クレインズの選手・スタッフを引き継ぐかたちで、「北海道ワイルズ」を立ち上げたのが、2023年5月のことでした。
本当は、その年の9月に開幕するアジアリーグへの参戦を目指していましたが、残念ながら実現には至りませんでした。
翌年のアジアリーグ参戦を目指し、各方面と交渉を重ねましたが、その調整は予想以上に困難を極めました。
年末の申請期限を目前にして、最終的に加盟申請を断念するという決断を下すことになりました。
選手たちはその舞台に立つことを信じて、日々努力を重ねていたわけですから、その夢が絶たれたという現実には、私自身も大きな衝撃を受けました。
それでも、毅君をはじめ、チームに残ってくれた選手たちがいたんです。
では、この子たちをもう一度、どうすれば「表舞台」に立たせてあげられるのか。
その問いに向き合ったとき、浮かんだのが「東京で、新たなチャレンジをする」という選択肢でした。
覚悟を決めて、私たちは東京に出ることを決めたのです。

東京で再スタートを切るという話が出てから、とにかく展開が早かったんです。
本当に3週間もしないうちに、選手たちは引っ越しを終えていました。
その間、経営陣の皆さんがそれぞれ自ら奔走して、リンクを押さえてくださって。
しかもリンクの目の前に事務所まで用意してくれて、防具倉庫も借りてくれた。さらにはジムの設備まで整えてくれたんです。
ここまで揃っている環境は、正直、トップレベルだと思います。
本当に恵まれていると思いましたし、「ここからもう一度始められる」と心から思える瞬間でした。


東京に拠点を移すというのは、決して簡単な決断ではなかったと思います。
その中で「東京なら何かが変わる」「新しい可能性がある」そんな希望のようなものを、感じていらっしゃったのでしょうか?
正直、アジアリーグへの参戦ができないとわかったときは、やはり強い絶望を感じました。
ただ、その瞬間に、私も選手たちも、完全に「ゼロ」の位置にいたんです。
もう失うものはない。そう思ったとき、不思議と腹が据わったというか、覚悟が決まりました。
そして、そんな私たちを支えてくれたのは、友人や家族、チームの仲間たち、そしてこれまで応援してくださった皆さんの言葉でした。
その声を受け取ったとき、強く思ったんです。
「ここから始まるんだ」と。

東京を選んだ背景には、いくつかの理由がありました。
実は私の地元・名古屋でも、ちょうど同じタイミングで新しいアイスホッケーチームが立ち上がっていたんです。ですから、名古屋という選択肢も現実的にありました。
ただ、それによって「同じ志を持つ仲間が名古屋にできた」という感覚も生まれて、あえて別のエリアを模索することにしました。
最終的に東京を選んだ理由は、やはりその圧倒的な人口の多さと、競技人口の規模にあります。
加えて、東京には大学アイスホッケーの文化が根付いていて、競技との接点も多く、長期的に見て「根を張っていける土壌」があると強く感じたんです。
私たちは、プロチームとしてこの東京という街にしっかり根付き、新しいアイスホッケーの“シーン”をつくっていけるのではないか。
そしてそれによって、毅君たちが守ろうとしてきたアイスホッケーという競技そのものを、もう一度、多くの人の心に届けることができるのではないか。
そう信じて、東京という選択をしました。

東京ワイルズの誕生
苦悩の中選んだ移転とそこで過ごしたシーズン

もちろん、移転に伴ってさまざまな声が挙がったことと思います。中には心が痛むようなご意見もあったかもしれません。
それでも、夢に向かって走っていたお二人の表情からは、どこか充実感のようなものも感じられました。
そんな2024年シーズンを、実際に東京で過ごしてみて、東京ワイルズというチームは、この1年でどのように成長したと感じていますか?
この1年は、本当に“ギュッと詰め込んだ1年”でした。
チームとしては、いろいろな事情で離れていった選手もいましたが、その一方で残ったメンバーの結束と成長は本当に大きかったと思います。
今シーズンは、登録選手14人+1名追加、さらには元コーチが選手に復帰するという、いわばギリギリの陣容。
慣れないポジションを選手同士でカバーしながら、試合を成立させていく。その中でいちばん成長したのは、選手全員が「今、自分たちは補強段階にあるチームで戦っている」という自覚を持ち、一丸となって取り組めたことです。
誰かがわがままを言うでもなく、誰かのせいにするでもなく、毎日の練習に全員が100%の姿勢で向き合ってくれた。
特に印象的だったのは、練習の質がまるで違っていたこと。クレインズ時代とは明らかに違って、シーズンの最初から最後まで、常に「試合に出る準備ができている」ような練習ができていたんです。
チーム内でも、ベテランと若手の壁がなくなった感覚がありました。
今までは「ベテラン→中堅→若手」と順を追って伝えていたようなことが、今では若手がベテランに素直に相談し、ベテランも気さくにアドバイスを返す、そんな空気が自然に生まれたんです。
全員が「とにかく1シフトにベストを尽くす」「どうやったら勝てるか?」を常に考えていた、そういう1年でした。

この1年間の活動を通して、東京ワイルズを本当に応援してくれるファンの方々が着実に増えてきたという手応えを、強く感じています。
昨シーズンの試合は、主に名古屋で開催してきました。私自身が愛知県出身ということもあり、名古屋の皆さんがものすごく発信力を持ってチームを応援してくださったんです。
そのおかげで、ホームチームである名古屋オルクスに負けないくらいの熱量で、東京ワイルズのファンが名古屋に集まってくれました。
そして次のシーズンは、東京での試合も徐々に増やすことで、アイスホッケーそのものに触れてくれる人が確実に広がっていくと確信できたシーズンでした。

東京ワイルズ第一章から希望の第二章の幕開け
これからのビジョン

これまでの1年間、東京ワイルズは確かな成果を挙げてきましたが、とはいえ主戦場と呼べる公式な舞台がまだ存在していなかったという印象もあります。
そんな中で、今シーズンは日本アイスホッケー連盟が主体となって、新たなリーグを立ち上げる案が浮上していると伺いました。
もちろん、東京ワイルズとしてもそのリーグへの参戦を予定されているかと思いますが、そのあたりの現在の動きや、今後に向けたお考えをお聞かせいただけますか?
ようやく、選手たちを表舞台に上げてあげられるかもしれない。
今、そんな期待に胸をふくらませています。
思い返せば、長かったようであっという間の3年間でした。本当にいろいろなことがありましたが、多くの方々の協力があって、ようやく新たなステージが見えてきたところです。
私たち東京ワイルズとしては、これまでにため込んできた力を、ようやく発揮できるタイミングだと感じています。
そのためにも、良い準備をして、運営陣も選手も一丸となって、お客さん、ファンの皆さん、そして応援しながら待ってくれていたご家族、すべての方々に恩返しできるシーズンにしたいと思っています。

新たな試みに挑戦!2025年の東京ワイルズは飛躍の年に!

チームとしての基盤も整い、ファンも増えてきて、いよいよアイスホッケーにしっかりと集中できる環境が整ってきた東京ワイルズ。
そんな中で、今シーズンのスタートに合わせて“面白い企画”を準備されていると伺いました。
ぜひ、その内容について教えていただけますか?
はい。今年は何か、ファンの皆さんと一緒になって形にできることはないかと、ずっと模索していたんです。
そんな中で、ソサイチという7人制のサッカーチームが「ファンの名前をユニフォームに入れる」という取り組みをしていると教えていただいてものすごく心を打たれました。
私たち東京ワイルズも、ただ応援されるチームではなくて、「応援してくれる皆さんの名前を背負って一緒に戦うチーム」になりたいと、心から思ったんです。
そこで始めたのが、「みんなで作るユニフォーム企画」です。
これは、支援してくださったファンの皆さんのお名前をユニフォームに刻み、選手たちが実際の試合でその名前を背負って戦うというもの。
一緒に戦う、という気持ちを形にできる企画になればと願っています。

今回の「みんなで作るユニフォーム企画」は、東京ワイルズの公式HP上で、クラウドファンディングのような形式で実施します。
正直、ファンの皆さまにご負担をお願いする部分があることは、重々承知しています。
それでも、私たちは本気で、「ファンの皆さんと一緒に戦うチームになりたい」と願っています。
どうか、東京ワイルズと一緒に、この新しいステージを作っていただけないでしょうか。
ユニフォームは、ホーム用とアウェー用の2タイプをご用意しています。
ご支援が3万円以上の方には、ユニフォームを郵送でお届けいたしますので、ぜひ試合の際はそのユニフォームを着て、リンクに足を運んでいただけたら嬉しいです。
あなたの名前を背負って、選手たちは全力で戦います。

クラウンドファンディング形式の「みんなで作るユニフォーム企画」について

今回の「みんなで作るユニフォーム企画」には、応援のスタイルが3種類あるとうかがいました。それぞれどのような仕組みになっているのでしょうか?
はい。今回の「みんなで作るユニフォーム企画」では、3つの応援コースをご用意しました。
一つ目が、
《名前で伝わるプライド|10,000円コース》
10,000円のご支援でユニフォームにご支援者さまのお名前を入れるコースです。
名前のサイズは大きなものではありませんが、選手たちはその名前を背負い、「恥じないプレーをしよう」と戦いに臨みます。
二つ目が、
《身につける誇りと一体感|30,000円コース》
このコースはユニフォームへのお名前掲載に加えて、レプリカユニフォームを1枚お届けします。
実際にユニフォームを身につけて応援していただくことで、選手と“ひとつになる感覚”を味わってもらえたら嬉しいです。
そして三つ目が、
《本気の証、リンクと日常を貫く1枚|50,000円コース》。
こちらは選手が実際に着用するのと同じ生地・仕様で製作された「オーセンティックユニフォーム」をお届けします。
背中にはお好きなお名前・お好きな背番号を自由に入れることができます。
応援だけでなく、“自分もこのチームの一員だ”という誇りを、日常でもリンクでも感じていただける1枚になればと思っています。
全コースには、SNSなどで使えるようなオリジナル壁紙セットもお送りまします。
以上の3つのコースで、それぞれのスタイルで東京ワイルズと一緒に戦っていただけたら嬉しいです。

詳しい情報やプロジェクトの参加方法については、東京ワイルズ公式ホームページにてご案内しています。
ぜひ一度、ワイルズのHPにも足を運んでみてください。


お二人だったらどのコースを選びますか?
よく岡本社長に、「お前は極端だよな、ゼロか100かなんだよ」って言われるんです(笑)。
実際、自分でもそうだなと思うところがあって。今回のユニフォームも、1万円・3万円・5万円の3つのコースがありますけど、自分が選ぶとしたら“1か5”ですね。
1万円コースは、お名前を入れていただくことで、「遠くからでも一緒に戦っている」という気持ちを形にできるコース。これはすごく価値があると思います。
でも自分の理想を言えば、、、やっぱり5万円コースで、選手と同じ素材のユニフォームを着て、好きな背番号や名前を入れてもらって、リンクで一緒にハイタッチして応援してもらいたい。
選手とファンの距離がグッと縮まる、そんな応援のしかたができたら最高だなと思うんです。
もちろん選び方は人それぞれですが、自分はそういう“熱量のある応援”をイメージしています。

じゃあ僕は3かな(笑)

最後に

ここまでの歩みは決して平坦ではなかったと思いますが、その一歩一歩が東京ワイルズというチームの「芯」になっているように感じました。
そんな中で、いよいよ新しいステージに立とうとしている今、岡本代表や、齊藤監督がこれからの東京ワイルズに託したい「未来への願い」とは、どんなものでしょうか?
まだまだ未知数な部分もありますが、私たちは必ずファンの皆さんに「ワイルズを応援してよかった」と思っていただけるような試合を届けたいと思っています。
ワイルズをもっと好きになってもらえるように。そして、リンクでともに熱くなれるように。
ぜひ、会場に足を運んでいただけたら嬉しいです。
その前に、まず何よりもお伝えしたいのは、ここまで東京ワイルズというチームが存在し続けてこられたのは、岡本社長をはじめ、共同設備工業の皆さま、そして日々尽力してくれているチームスタッフや関係者の皆さん、ファンの皆さんのおかげです。
この場を借りて、あらためて心から感謝申し上げます。
そして最後に。
どれだけ選手が全力で戦おうとしても、「熱い応援」がなければ、リンクは本物の戦場になりません。
選手たちが全力を出し切るためには、ファンの皆さんの力がどうしても必要です。
これからのシーズン、皆さんと一緒に「熱い試合」をつくっていきたいと思っています。
その象徴として、ぜひ「みんなで作るユニフォーム」を、一緒に育ててください。
そしていつの日か、チームがもっと大きく成長したそのときには
私たちの故郷・釧路に戻って、再びリンクに立ちたいという夢も、ずっと胸に抱いています。
応援を、どうぞよろしくお願いいたします。

そうですね。
この3年間、私自身が東京ワイルズに携わってきて、改めて実感しているのはアイスホッケーというスポーツのチームを「継続させる」「持続させる」ことの大変さです。
自分が経験したからこそわかる部分もありますし、他のチームの経営者の方からも同じようなお話をうかがうことがあります。
もちろん、ファンの皆さんに喜んでいただけなければ、チームの意味はありません。
でも同時に、これは少し厚かましいお願いかもしれませんが「一緒にチームを支えていく」という感覚も、ぜひ持っていただけたら本当に嬉しいんです。
選手がリンクで全力を出し切れるのは、ファンの声援があるからこそです。
どんなに小さな声でも、その一人ひとりの応援が、チームにとっては大きな力になります。
今回のユニフォームプロジェクトも、ファンの皆さんの想いとともに、“継続的にチームを運営できる環境”をつくるための試みです。
まだアイスホッケーはマイナースポーツかもしれません。
けれど、本気で「メジャーにしたい」と思うなら、まずは“続けられる仕組み”を皆さんと一緒に作らなければならない。
このプロジェクトを通じて、「応援=一緒に戦うこと」だと実感していただけたら、とても嬉しいです。
だからこそ、ワイルズを応援していただくことは、アイスホッケーという競技全体を盛り上げていく力にもなる。
そんな風に思っていただけたら、これ以上の喜びはありません。
そして、皆さんと一緒に戦える2025年シーズンを、私たちは心から楽しみにしています。
これからも東京ワイルズを、どうぞよろしくお願いいたします。

あとがき
東京ワイルズというチームは、もしかするとまだ「知られていない存在」かもしれません。
けれど、岡本代表と齊藤監督の言葉からは確かな“熱”と“覚悟”を感じました。
3年前、チームの経営が悪化し、給料が止まり、希望の見えない中で、それでも「アイスホッケーを守りたい」という一心で集まった人たちがいました。
そして今、東京という新しい地で、選手・スタッフ・ファンが「もう一度、ここから始めよう」と肩を並べています。
今回の「みんなで作るユニフォーム企画」は、その想いをただのグッズではなく、“一緒に背負うフラッグ”に変えるプロジェクトです。
応援とは声を出すことだけではなく、「存在を信じ、支えること」…そんな事に気づかされたインタビューになりました。
その一歩として、この記事を通じて東京ワイルズの名前があなたの心に残ったなら、それがもう新しいアイスホッケーの始まりかもしれません。
リンクで、待っている人たちがいます。
あなたの名前とともに戦う準備はもう整っています。
こんなに熱いメンバーが揃った東京ワイルズが日本アイスホッケー界の中心に戻るのは間違いないと確信しました。
さぁ、皆で東京ワイルズを応援しよう!!!