道内の観光・グルメ・おでかけ情報満載 MouLa HOKKAIDO(モウラ北海道)

映画「カムイのうた」菅原監督インタビュー

映画「カムイのうた」菅原監督インタビュー

北海道東川町ではアイヌ民族をテーマにした映画「カムイのうた」を制作しています。MouLa HOKKAIDOでは、2023年秋の公開に先駆け、映画関係者やアイヌ文化に関わっている方々にお話を伺うプロジェクト「つながる、つづく、カムイの想い」をスタートしました!最初にご紹介するのは菅原浩志監督。映画の見どころはもちろんのこと監督の人となりについても詳しく話を聞いてきました。

東川町との出会い

編集部
今日は撮影の合間を縫ってお時間を作っていただきましてありがとうございます。
よろしくお願いします。

菅原
よろしくお願いします。

編集部
今回の「カムイのうた」は東川町が舞台になっていますが、そもそも東川町との出会いは何がきっかけだったのでしょうか?

菅原
『ほたるの星』という映画を山口県で撮影したご縁から、2014年に山口県周南市で開催された「名水サミット」の基調講演を頼まれたことがあります。その時、東川町の松岡市郎町長もサミットに参加されていて、私の講演が終わったらすぐ楽屋に来られて、「監督、写真甲子園みたことありますか?」って聞かれました。
「名前は知っていますが、まだ見たことはないです」とお答えしたら「是非、一度見に来てください」という話になり、それがきっかけで翌年の写真甲子園を見るために初めて東川町を訪れました。

写真甲子園に参加している高校生たちに話を聞こうと思ったら、生徒たちはみんな真剣に写真を撮っていて、話しかけることすらできませんでした。まして質問なんか全然できる雰囲気じゃない。そのくらいみんな真剣でした。

結局その時は、話を聞くことは諦めて、写真甲子園が終わった後に参加した高校を訪問して、生徒たちの話を聞いて周りました。札幌、東京、埼玉、大阪、山口、沖縄と足をのばしました。写真に真摯に向き合う高校生たちの話を聞いていると、映画に必要な「ドラマ」がありました。そこで改めて、東川町の町長に会いに行き、写真甲子園の映画作りが始まったのです。

編集部
それが、「写真甲子園 0.5秒の夏」ですね。

菅原
はい、そうです。
東川町とのご縁はそこから始まりました。

『カムイのうた』誕生のきっかけは

編集部
今回の映画『カムイのうた』はどのようなきっかで生まれたのでしょうか?

菅原
旭川に川村カ子トアイヌ記念館という日本一古いアイヌ文化の資料館があるのですが、東川町の松岡町長から、館長の川村兼一さんの記録映像の製作依頼をいただいたことがあって、その時、川村兼一さんのお話しを何十時間もインタビューし、様々な行事にも行かせてもらいました。

そうやって川村兼一さんとの時間を深めていく中で、私の中でアイヌ民族に対する興味が沸々と湧いてきて、アイヌ民族について勉強もするようになりました。アイヌ文化は、北海道を代表する文化なのだから、北海道からしっかりと発信する意味・意義があるのではないかと思うに至り、映画の企画として動き始めました。

この映画は、10年前だったら企画として成立しなかったかもしれません。多様性を尊重する時代になったからこそ、アイヌ民族の物語を立ち上げることができたと思いますし、まさに今の時代に必要で、重要な意味を持つ作品では無いかと考えています。

編集部
映画の企画を東川町へ提案された時には、町としてどのような反応でしたか?

菅原
上川アイヌと大雪山は日本遺産として登録されていますので、東川町としてもアイヌ民族と大雪山は切り離すことができない関係であり、地域の魅力を発信するための大切なテーマの一つだと考えていると思います。

また、アイヌ文化は北海道全体の文化ということを町長は強くおっしゃっています。映画を作ってアイヌ文化を広く発信しようとする東川町の姿勢からもわかるように、北海道全体が一丸となって作るべき作品とのお話もいただき、企画段階からとても応援してもらっています。

編集部
川村兼一さんとの出会いが「カムイのうた」が生まれるきっかけだと思うのですが、アイヌ民族の物語を作る上で、なぜ「知里幸恵」をモデルにしようと思ったのですか?

菅原
川村兼一さんのお父さんの川村カ子トさんは、アイヌ文化の啓発・普及にも寄与された方なので、彼も映画のテーマとしては十分考えられるのですが、今回は19歳の若さで亡くなってしまった知里幸恵さんをモデルに描いてみたいと思いました。

彼女は、文字を持たないアイヌ民族の中で、初めてユーカラを日本語に訳してアイヌ神謡集として紹介したわけですが、そんな彼女の生き方や思いを紐解いてみたくなったのが理由です。知里幸恵さんと同じ年に生まれた女性詩人に金子みすゞさんがいますが、彼女に比べて知里幸恵さんはまだ知られていない。もっともっと、北海道から発信すべきことがある!と思ったことも理由の一つです。

撮影ではどのような点に苦労されましたか?

編集部
今回の撮影は冬のロケもあり、大変なことも多かったと思いますが、特にどのような点が大変でしたか?

菅原
今回の映画でもっとも大切なことは、アイヌ民族や文化をしっかり理解して、「本物」に限りなく近づけることでした。キャスティングも含めてそこが一番苦労した点です。特に難しかったのは、芝居をする際の「感情表現」です。アイヌ民族の感情の伝え方をリアルに表現することはとても難しいので、役者さんと「どう表現すべきか?」を何度も話し合いながら撮影を進めました。

また、アイヌは自然と共存することを大切にしている民族ですので、私たちも、自然に対するリスペクトの気持ちを常に忘れることなく芝居を作っていきました。役者陣も、それぞれにアイヌ民族や文化について勉強し、役になりきってもらいました。映画の中で、アイヌの男達が極寒の中、過酷な労働を強いられるシーンがあるのですが、そのシーンの撮影のために、役者は1年間髪と髭を伸ばし、減量して、役作りをしてもらいました。とても大変だったと思いますが、リアルゆえの迫力が感じられ、今回ぜひ見ていただきたいシーンの一つです。

編集部
1年間の役作り!それは凄い。お話を聞いているだけでその臨場感が伝わってきます。

菅原
ユーカラは歌いながら物語を語るのですが、そもそもアイヌ民族は文字を持たないから楽譜もない。映画の中でユーカラを再現するのも苦労しました。口承で代々伝わっていたものなので、人によってニュアンスは変わるし、地方によっても異なりますから。通常、映画で歌のシーンを撮る場合は、まず楽譜を用意してスタジオでレコーディングして、その楽歌の入った曲を現場で再生し、それに合わせて芝居をするのが一般的なのですが、それだと現場での役者の感情が歌に反映されないので、現場で歌って欲しい!とリクエストを出しました。女優さんは大変だったと思いますが、結果的に見応えのある素晴らしいシーンになったと思います。

編集部
監督の一連の作品作りにはキーワードとしていつも「リアル」があるような気がします。
監督自身もリアルへのこだわりは強く意識されてますか?

菅原
それはあると思います。映画を見ていて、一瞬でも「あ、これ嘘かな?」と思ったら、映画の全てが信じられなくなりますよね。だから私はディテールにはこだわります。「神は細部に宿る」です。

今までの映画やテレビドラマでは、アイヌ民族を表現するのに、出演者はアイヌ民族の衣装を着ていることが多い。でも、実際は、アイヌ民族の“アットゥㇱ”はハレの日に着る衣装でとても貴重なものです。今回の映画では、昔のアイヌは何を着ていたのか、どういう服で作業していたのか?などの情報を徹底的に調べて、当時をリアルに再現することに妥協せずとてもこだわりました。

編集部
寒さ厳しい季節の北海道ロケもあったと思いますが、冬の北海道ロケも苦労されたのでは?

菅原
冬の北海道ロケは、この映画の撮影のクライマックスです。厳しい環境の中で、アイヌが強制労働させられたニシン漁のシーンを撮りました。“もっこ”という背負子に20kgほどのニシンを入れて、担いで船から釜場まで運ぶ作業です。この作業はニシン漁の期間、1月から3月に行われていたので、同じ時期に撮影しました。役者とスタッフは大変だったと思いますが、私はあえて実際に強制労働させられた時と、同じ時間、空間を再現することに意義があると思っていたので、撮影時期にもこだわりました。スタジオにセットを組んで、グリーンバックで合成して撮影することもできますが、今回は、実際に我々が体験しているということに意義を感じています。

編集部
やはりリアルへのこだわりは映画作りには必要な要素でしょうか?

菅原
言葉に頼ることなく、映像で伝えることはずっと大切にしているこだわりです。そのためには、可能な限りリアルとファクトに忠実にならざるを得ないと思います。特に今回の映画は海外の人にも見てもらいたいと考えています。

先住民は、オーストラリアのアボリジニ、カナダのイヌイット、その他ヨーロッパにもたくさんいますが、残念ながら日本は先住民に対する意識がまだ低いと言わざるを得ません。この映画は海外の先住民が暮らしている国々でもぜひ見てもらいたいと考えていますので、なおさら言葉で語るのではなく、映像だけでも意図が伝わるように撮影しました。

編集部
それは楽しみですし、道民の1人として誇らしくも思います。

この映画に託した思い

編集部
映画「カムイのうた」にはいろんな思いが込められていると思いますが、監督が一番伝えたいことはなんでしょうか?

菅原
アイヌ民族が先住民として暮らしている北海道の中に、突然松前藩が入ってきて、文化も言語も和人のものに塗り替えられてしまった。和人はアイヌ民族の文化を土台にして北海道を開拓し、アイヌ民族を迫害したわけですが、そこに罪の意識はなく、逆に当たり前だと思ってきたわけです。

これはとても恐ろしく、悲しい事実だと思うのですが、実は今の私たちの暮らしでも同じようなことが考えられます。例えば、いじめ。無意識のうちに誰かを差別しているかもしれないし、傷つけているかもしれない。この映画を通して、自分も無意識のうちに誰かを傷つけている「加害者」であるかもしれないことへの気づきになればと思っています。

編集部
確かに、自分の暮らしに置き換えてみると考えさせられることはありますね。

菅原
時代と共に私たちの価値観も変わっていきます。もしかしたら将来誰かによって事実を塗り替えられてしまうかもしれない。そのときになって初めて気づくのではなく、今からそういうことに対する意識、「差別や無知」による迫害に対して、常に意識を向けておくことがとても大切だと思います。

この映画に託したもう一つの思いとしては、かつて知里幸恵さんのようにアイヌに生まれただけで迫害を受け、行きたい学校に通うこともできず、文化や言葉までも奪われても、それに負けず、強く、逞しく、前向きに歩んだ先人がいたことを知ることで、希望の糧にしてもらえると嬉しいです。
決して命を無駄にすることなく、前を向いて歩いていると、必ず、希望が持てる時が来るから、諦めないで頑張ってほしい、そんなエールも込めて映画を作りました。

編集部
ぜひ、子供達や若い世代の人たちにたくさん見てもらいたいですね。

菅原
そうですね、子供達や若い世代には是非見てもらいたいです。

札幌に住む同級生と話をしても、アイヌ民族の歴史や文化について知らない人が多いです。道民でもそうなので、本州だともっとそうだと思います。それは当然と言えば当然かもしれない。なぜなら学校で教えてこなかったから。この機会にぜひアイヌ民族の文化や歴史について知ってもらえたら嬉しいです。過去の事実を、しっかりと伝えていくことが必要だと思っています。

編集部
そうですよね、伝えないと伝わらないですもんね。

菅原
アイヌの中には、今でもアイヌ民族の血を引いていることを隠して生きている人たちがいます。今回、映画を製作するにあたり、アイヌの方々に取材をしている中で、やっとカミングアウトしましたとおっしゃっていた60代の女性がいたのがとても印象的でした。

それまでずっと隠して暮らしていたのです。今でもそのようなアイヌがまだたくさんいるわけですし、もちろんそれはアイヌ民族だけではなく、いろんな血を引いている人たちもいるわけですから、それに対して自信を持って自分のルーツを語ることができるような社会になって欲しいと思いながら映画を製作しました。

編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。


この記事を書いたモウラー

編集部

MouLa編集部

MouLa HOKKAIDO編集部アカウントです。