【音威子府】ブギウギ奥の細道 +北海道命名の地 聖地巡礼
北海道で一番小さな村「音威子府」は2023.1.1現在で人口668人とのこと。
難読地名クイズ問題の常連なので、実は全国的に知名度は高いんじゃないかな?と思います。
今回は音威子府での「ブギウギ専務」
・①2012年10月ブギウギ奥の細道ロケ
・②2018年 ブギウギ銅像見聞録〜幕末維新英雄伝〜「北海道命名之地」ロケ
のブギ聖地巡礼の紹介をお届けします。
これから音威子府村に行く機会がある方は 是非参考にして実際に行ってみて頂けたら嬉しいです。
さて、どんなドラマがあったでしょうか。
では、まず①からイッテミヨー!
①ブギウギ奥の細道とは なんぞや。
STV「ブギウギ専務」の大型企画「ブギウギ奥の細道 第一幕」は、ウエスギ芭蕉こと ウエスギ専務と、河合曾良こと おおち係長が、函館・立待岬を出発し、稚内・宗谷岬まで俳句を読みながら、徒歩で北海道縦断する過酷バラエティ企画です。
私は、そのロケ地をブギ聖地として 巡礼しています。紹介するブギ聖地のある町はランダムに決めています。ご了承下さい。
【他のブギ聖地はどこを紹介してるの?
↑から見つけて下さいませ♡】
音威子府村ロケは、2012年10月下旬に2日間行われ、ブギウギ奥の細道DVD vol.4〜夏・秋の章 に収録されています。
また、今日現在、細道第1幕は大阪チャンネルで視聴可能です♪ご確認下さい(^^)
YouTube動画内に音威子府が5ヶ所!
さて今回は冒頭で、ブギ聖地紹介恒例の「YouTube動画を見て、聖地巡礼気分を味わっていただきたい☆」を、投入します。
(▶︎再生→右下□をタップ→画面をタッチすると時間表示が出ます)
5ヶ所あるので、どこに音威子府のシーンが出てくるか 注目して探して下さいませ!さて、見つけられるかな?(^^)
では放送内容の順に紹介を進めます。
5ヶ所の答え合わせも お楽しみ下さい♪
これから紹介する画像は、全て放送内で映った場所です。
音威子府村のカントリーサイン発見!
美深町で、別仕事があると おおち係長が離脱したため、 お約束のカントリーサインポーズはウエスギ専務1人でトーテムポールを主に顔で表現して 音威子府村にイーン!
(どんな面白い顔をしたか気になる方は是非DVDか大阪チャンネルで見てね)
ロケ場所・美深町清水 国道275号付近
深まる秋を感じながら進むと あっという間に日没で辺りは真っ暗。
見えて来た看板(音威子府村音威子府 国道275号付近)を頼りに、今宵の宿青少年宿泊研修施設トムテで専務が宿泊交渉→空室あり「マルー!」と無事に部屋を確保。良かったよかった!
本日の紀行文を書く際に誤字をした専務は、罰として 岸ディレクター(以降D)からマッサージ塗りの制裁を受けるなどしてロケ1日目が終わる。おやすみなさーい。
- 住所
- 〒098-2501 北海道中川郡音威子府村音威子府200−6
- 電話番号
- 01656-5-3157
- 備考
- 要事前予約
長期滞在・合宿等歓迎(宿泊料金は応相談)詳しくは電話でお問い合わせ下さい。
ロケ2日目の朝 トムテ前よりロケ再開。
宿に入る際には真っ暗で気がつかなかったけれど、トムテの前には音威富士スキー場が広がっていました。(スキー旅とかにイイですね♪)
さて、今日は専務と係長 2人並んで 北に向かって出発!頑張ってー☆
本格的な秋の到来を感じる景色の中、係長が雪虫を見つけ ここで一句。
「雪虫に 季節の変わり目 教えられ」
(なかなかイイ句を詠みましたよ♪)
再び国道40号を北上。カントリーサインにあったトーテムポールを見つけます。
トーテムポール(跡地)
動画1分11〜16秒
旅の衣装から なんだか係長がシスターに見えてきた!トーテムポールの前で、何故か祈り始めた係長に放った専務の一句。(全然トーテムポール関係ない笑)
トーテムポールとは
アメリカ北西沿岸先住民が建てた大型のシンボル的な彫刻柱。所有地、魔除け、守り神、祈願、など意味は多数あるとか。
トーテムポールがあった場所・音威子府村音威子府474付近
名物 真っ黒な音威子府そば。
『年越しは毎年 音威子府そば』という方も多かっただろうと思われますが、音威子府で唯一そばを製麺していた畠山製麺が2022年8月末で廃業したことにより、一路食堂は2022年9月惜しまれながら閉業となりました。大変残念です。
ロケ時は2012年なので営業していましたが定休日でした。(①②の前、2008年の別企画で専務は一路食堂で お蕎麦を食べてます)
ロケ時は全校生徒12人(うち1年生が1名)と、ふれあいがありました。みんな今はもう大人ですね(^^)
2014年4月 音威子府小学校との併置校となり、旧校舎は高橋 昭五郎 彫刻の館(音威子府村音威子府443)として使われているようです。
2008年の別企画で 専務が一度行っている原菓子舗。
鮭の形をした人気商品みそパンと店主自作の看板を係長に見せたい!店主の原さんと会いたい!と再訪。 楽しい時間を過ごしました。
(2012年11月トラックが店舗を破損した事故があり閉業となりました。人的被害は無しとのことです)
一路食堂で食べることが出来なかった音威子府そばを駅そばで。
初 音威子府そばを体験する係長。なぜ黒いか説明を聞く。2人が食べる天ぷらそばが実に美味しそうで、お腹が空いてくる不思議、笑。
(音威子府駅と言えば、駅そば「常盤軒」が有名でしたが、2021年2月店主の西野守さんが亡くなられた事で閉店となりました。
私も行きたい、食べたい、と思っていたのに、結局行けなかった!残念無念 )
紅葉の下を歩く2人
動画1分03〜10秒
音威子府村幼児センターの横を歩いています
奥に見える神社が素敵な画角。
音威子府村音威子府459−1付近
係長の「♪アキテシオゥ」
動画1分47〜50秒
橋の上から見る景色が素晴らしく、是非一句詠もう!となる。専務が秋天塩という言葉を使った事により、「フォルテシモ(ロックバンドHOUND DOGの曲)みたいだ!」と岸Dが言い、係長がボーカル大友康平氏のモノマネでアキテシオゥと言った場面。
音威子府橋の上
山道で岸Dが2人にイタズラする
次の町・中川町へ向かう途中は山道続き。
「もしヒグマに遭遇したら」の予行演習をしてる最中に、岸Dが2人をビビらせた!
音威子府村物満内付近
(2023年6月にブギウギ専務の別ロケで、実際に熊と遭遇した事が全国ニュースにもなったが、この予行演習通りにはならなかった様子。熊対策はなかなか難しいですね^^;)
空手家・大山倍達の教えで身を守る⁈
動画1分28〜33秒
大の大山倍達好きの専務が 熊と格闘する場合の教えを熱心に話す。それを再現した熊役の係長に 簡単にやられてしまうシーン。
ロケ場所・音威子府村物満内付近
日没し真っ暗の中、熊に怯えながら進む
天塩川に沿うように続く国道40号。街灯の無い山道を、撮影スタッフの照明を頼りに やっとの思いで進む先に見えて来たのは、中川町のカントリーサイン。
いよいよ音威子府村を無事通過することが出来ました。本当にお疲れ様でした!!
以上で①ブギウギ奥の細道 聖地巡礼は終わりです。
②ブギウギ銅像見聞録〜幕末維新英雄伝〜 「北海道命名之地」
次は、2018年 北海道命名150周年の記念イヤーに、ブギウギ銅像見聞録〜幕末維新英雄伝〜 という企画が行われ、''音威子府はこの企画に欠かせない場所だ!''という事で、札幌STVから往復10時間かけて向かい、雪の中スノーシューで現地に入っています。
北海道命名之地
- 住所
- 〒098-2500 北海道中川郡音威子府村物満内
- 営業時間
- 24時間
- 備考
- 巡礼時は記念碑の近くまで車で行けました。
熊に注意!です。
積雪時期の見学は厳しいと思われます。
松浦武四郎は探検家って知ってた?
探検家・松浦武四郎 ご存知でしたか?
アイヌの方々の協力のもと 6回調査に来て、後に明治政府の要職に就いた後 蝦夷地を北海道と命名した功績があります。
↓詳しくはこちらをご覧ください!
「北海道」の名を生んだ、アイヌ長老との出会い
武四郎が残した「天塩日誌」で音威子府を含めた24日間の足跡を記しています。
イラストにまとめられた記事を見つけましたので見て下さい。武四郎の心情や厳しい調査の様子を垣間見ることが出来ます。
今の時代でも 北の大地の自然は厳しく 旅には体調管理も重要で、明治の時代に 隅々まで記す日誌を残すなど任務があった武四郎は、まさに探検家の好奇心と行動力があってこそ。と考えられます。
2018年以降、バスツアーなどで巡る企画なども少ないですがあるようです。気になる方は検索してみて下さいませ(^^)
以上が②2018年 ブギウギ銅像見聞録〜幕末維新英雄伝〜「北海道命名之地」聖地巡礼でした。
これで音威子府でのブギ聖地巡礼紹介を終わります。最後までお付き合い頂きありがとうございます!!
音威子府には 村立の高校「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」がありますネ。
木工芸を通して人づくりを進めている、との事で 全国から希望者が集まっています。
村立の高校ってスゴイ!手先の器用な子が集まって青春を過ごしていることでしょう。
さて、次はどこに巡礼しようかな?
おまけ 松浦武四郎が話題に出てきたから島義勇も!
勢いで便乗!
今回もおまけを付けさせていただきます。
北海道神宮内の「開拓神社」では 北海道の開拓功労者が祀られていて、 松浦武四郎や開拓判官である島義勇などなど錚々たる名前が並んでいます。
↓1974年に建立された島義勇像。
高さは4メートルとのこと。
背中に三神の御霊代を背負っている。(詳しくはコチラ)
↓札幌市役所ロビーに立つ島義勇像。
島義勇は、原野の札幌をゼロから街づくりをした。台座には、札幌開発を着手するにあたって 洋々たる前途にたいし[他日五州第一の都(いつの日か 世界第一の都となるだろう)]と詠んだ詩がある。
↓こちらは、明治維新150年となる2018年、北海道開拓に貢献した島義勇を顕彰するため佐賀県佐賀市建てられた銅像(上記②のブギウギ銅像見聞録〜幕末維新英雄伝〜の企画では 島義勇の出生地・佐賀県でもロケを行っている。北海道知事も参列した建立記念式典では ウエスギ専務のスピーチもあった)
建立に際して協力金を募り、協力者の名前が銅像横の銘板に刻まれた。