【vol.25】連載終了みたいな話
NEW
この記事を読む選択をしてくれたあなたはきっと良い人。ありがとうございます。
FM北海道(AIR-G')でアナウンサー / パーソナリティーをしています。森本優です。気づけば入社11年目、連載も25回目になりました。
このコラムのタイトル「非効率の向こう側」の素になっている、私が担当する番組「IMAREAL」(イマリアル)での、週に1度の学校訪問は7年7カ月が経った。自分の中ではどれも「長く続いているな~」という感想を抱くが、世間には創業150年とか樹齢1000年とか桁違いの長寿〇〇はいくらでもある。あなたが一番続いたこと / 続いていることは何ですか?
そして、バトンを受け取った
バスケットボールをやっていたのは8年。地元の高知県に住んでいたのは約12年。そう考えていくと、やはり私の中で1番長く続ているのは「ラジオを聴く」ことだった。小学生の頃から家や車で聞いていた。
自分の意思として聴き始めたのはおそらく中学校1年生の頃だったので、気づけば20年も続いている。果たして仕事に選んでいなかったら続いていなかったのだろうか。
遡ること12年前。21歳、大学3年生の森本青年は、スペイン坂にラジオの公開生放送を見に行くのが日課だった。サテライトスタジオは無くなってしまったけど、今でもTOKYO FMが放送している番組「Skyrocket Company」は、私の人生を大きく動かした。
パーソナリティーを務めているのはマンボウやしろさん。
私の人生を決めたラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」の初代教頭だった方です。毎週、公開生放送に通っているうちに顔を覚えてくれて、生放送のスタジオに入れてもらったり、放送内でトークしたこともある。そして、たびたび「僕の夢はラジオパーソナリティになることです!」と伝えていた。
・
説明すると長くなるので割愛しますが、ある企画で、やしろさんのメールアドレスをゲットした(どんな企画だ!)。私の夢を知ってくれていたやしろさんとご飯に行くチャンスを得た。1人のラジオリスナーとの時間を真剣に向き合ってくれた。気づけば、やしろさんは酔っぱらっていた。
そろそろ時間という頃に、やしろさんは私にこう言った。「もう1軒行くぞ。ついてこい!」店を出て乗ったタクシーの中で誰かに電話していた。「あ、もしもし~今ね~生徒ちゃんとご飯食べてたんだけど、こっち来れない?」(※「SCHOOL OF LOCK!」ではリスナーのことを「生徒」と呼ぶ)私は、芸人の方が後輩を連れて飲み歩くという、よく聞くエピソードをイメージして、誰が来るのかドキドキしていた。
15分程タクシーを走らせて2軒目到着。
夢のような時間の、ROUND2が始まって、すぐやってきたのが山崎樹範さんと遠山大輔さんだった。ラジオ好きなら分かるはず。とんでもない状況になってしまった。
「ONEPIECE」で例えるなら、シルバーズ・レイリーとご飯を食べていたら、ゴール・D・ロジャーとシャンクスが来たようなものだ。山崎樹範さんは「SCHOOL OF LOCK!」の初代校長、遠山大輔さんは2代目校長。つまり、私に夢を与えてくれた3人が目の前に揃ったのだ!
この文章を書いている今でも信じられない。私はこの状況で感情を抑えるのが不可能になり、号泣しながらお酒を注いだ。やしろさんは酔っぱらっていた。そして2人に「この生徒ちゃんね~ラジオパーソナリティになりたいんだって~俺たちの放送聞いてたって~!」とニコニコしながら伝えてくれた。
酒場で初代校長と2代目校長からのインタビューを受け、泣きながら、これまでの話とこれからの話を伝えた。最後に酔っぱらっていたはずのやしろさんは真っすぐ私を見てこう言った「ラジオの仕事をしたいんだろ?だったらお前は今日から生徒じゃなくてライバルだ。未来で待ってるぞ!」。
ヒーローじゃん!スターじゃん!何このセリフ!?本当に言われた?って思うくらいの言葉。革命前夜なんて言うけれど、いつ革命が起こるかなんてわからない。ファンファーレは突然鳴るのだ。
そして、バトンを渡していた
あの夜から12年が経った。
当時、何者でもなかった私は、その後、FM北海道のアナウンサー試験に合格し、縁も所縁もない土地でラジオパーソナリティとして活動することとなる。
この連載でもたびたび話題にしているが、学生時代にインタビューしていたリスナーの子が大人になって、夢を叶えていることが増えた。教師になった、医療関係の仕事に就いた、自分の飲食店をもったなど、嬉しい報告が日々届く。
2024年10月、あるXの投稿が目に留まった。
そこには「今度、FM北海道に出演します!実は高校生の頃に『イマリアル』に出たことがあるので2度目です!」と書かれていた。肩書を見て驚いた。“UHBアナウンサー”だった。UHBというのは北海道文化放送のこと、つまりテレビ局のアナウンサーの方が出演するらしい。
名前は「狐野彩人(このさいと)」。
名字も名前もインパクトがありすぎて覚えていた。でも、アナウンサーという仕事に就いたという事実には「?」が浮かんでいた。彼をインタビューしたのは2018年12月、6年前のこと。当時は軽音楽部としての取材だったので、音楽の話をした記憶はあった。
考えるよりも先に指が動き、私はその投稿にすぐ返事をした。すると彼から返事が来た。
「お久しぶりです。実は『イマリアル』の学校訪問取材がきっかけで、放送メディアに興味を持ちました。言葉で伝えることって面白いんだと、森本さんが教えてくれました」と。
「イマリアル」の学校訪問がきっかけで、北海道のテレビ局アナウンサーが誕生した。
私は12年前に貰ったバトンをずっと持っていて、いつか誰かに渡せたなら、こんな幸せなことはないと思っていた。違った。もう渡していた。しかも6年も前に。もうこの連載が最終回になってもいい(やだ)。
後日2人でご飯に行き、私は見事に酔っぱらった。
この記事を読んでいるあなたへ。未来で待ってる!