【vol.20】失敗を笑え
今月の「非効率の向こう側」、私が学生時代に言われた「失敗を笑うな」と、私が学生たちに伝えたい「失敗を笑え!」のお話です。
失敗を笑うな
あなたは学生時代に「言われた言葉」で覚えているものはありますか?その言葉はどんな性質でしたか?言われて嬉しかった言葉、悔しかった言葉、悲しかった言葉など、人の記憶にはいろんな言葉が存在しています。
私は中学校から高校までの6年間、バスケットボール部に所属し、1年のうち360日くらいは体育館にいた。今でこそ都道府県や、学校が定めた部活動のルールはあるが、当時の部活動はとにかく練習量が大切だった。実際、私も練習していない日の方が宿題は進まない。それくらい生活のリズムに部活動があった。
私の人生において「尾下先生」の存在は欠かせない。時に厳しく、時に厳しく、時に厳しいバスケ部顧問だった。全国的にも有名なバスケ部女性顧問で、尾下先生に教えてほしいという理由で入学する生徒もいたくらいだった。私は中学校3年生になる春に転校したので、指導してもらったのは2年間。その間に褒められたことは10回も無い。そんな中で私の心に残っている言葉がある。
バスケ部の同学年は15人ほどいて、未経験者は私を含めて2人だけだった。なのに身長は私が1番高く、試合に出ることが多かった。他の部員よりも下手な私に、360日付き添って練習を見てくれていたことは、今になって思えば尋常ではない愛だった。
ある日、自分の情けなさに頬が上がった日があった。その瞬間を先生は見逃さなかった。
「失敗した自分を笑うな。今の森本を笑っていいのは未来で成長した森本だけだ。」
と言われた。
転校前日、部活動の記録を毎日書いて提出する「部日誌」を開いた。普段は3行程度なのに、最後は1ページ丸々言葉が綴られていた。そこに尾下先生が残してくれた言葉は「失敗を笑うな」。今でも新年度が始まるタイミングでそのページを開く。2024年、33歳の私は過去の自分を笑顔で見つめることができている。そしてこの言葉を私なりに伝える日が来た。
失敗を笑え
札幌琴似工業高校放送局から、お昼の校内ラジオの依頼があった。元々は新型コロナウイルスが蔓延した頃、「昼食の時間に喋ることができなくて、楽しくない。」というメッセージが来たことから始まった。
給食の時間、昼休みに私が学校に行き、校内ラジオをするというもので、2023年度は11校で実施した。琴似工業高校の放送局は、普段からラジオをしているということで、彼らの番組に私がゲスト出演するというスタイルでした。
チャイムが鳴り、生徒が放送室に続々とやってくる。「緊張するー!」「楽しみー!」など、生徒それぞれの想いが声に出ていた。リハーサルを終え、いざ本番!「ON AIR」のランプがついた。
代表生徒3名と私の4名で喋り始めて3分後、放送室のドアが開いた。「全然声聞こえてないよー!」と男子生徒が教えてくれた。なんと、BGMだけが流れており、我々の声は届いていなかった。原因はマイクケーブルの接触不良。リハーサルでは聞こえた声が本番で聞こえない。これぞ生放送という試練がいきなりやってきた。
生徒たちは不安そうな表情をし、見るからに慌てていた。全員で一旦深呼吸をし、自分たちの声が校内に響いたことを確認すると「いや~失敗しちゃいましたね~!」と生徒が喋った。すると「ほんとですね!私、今回初めてなのに、いきなり大失敗ですよ!でも凄く良い思い出になりました!」と終始笑顔で喋っていた。
私は「これだ!」と心の中で叫び、生徒たちを称賛しました。しかし明らかに無事ではない放送を終えると生徒たちは下を向いた。
彼らの素晴らしいところは「目の前のハプニングを笑えたこと」です。ラジオの生放送において、ハプニングや失敗を「どうやったら面白く聞こえるか」変換させることが必要です。それを自然にやっていた彼らは、間違いなくこの瞬間に成長していました。「森本さん、絶対リベンジさせてください!」と全員に言われた。瞳の奥は燃えていた。
私は今、過去の自分を笑顔で見つめられる。尾下先生に言われたことも間違っていない。そのうえで今の私は学生 / 10代のあなたに「失敗を笑え!」と伝えます。今の自分を認めてあげてください。その先にどうするか、同じ失敗をしないために学ぶチャンスを活かせるか。自分を試す人生にしてください!さぁみんな!一緒に(自分の)失敗を笑おう!