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阿寒アイヌ民族文化保存会会長 松田健治さんインタビュー

阿寒アイヌ民族文化保存会会長 松田健治さんインタビュー

民芸店から飲食店へ


編集部
今日は松田さんのお店でお話をお伺いするわけですが、外観も、お店の中も素敵な雰囲気ですね。

松田
平成4年に建て直して現在に至るのでそれなりに年季も入って“良い味”が出ているかもしれないですね。笑

編集部
ちなみに建て直す前は飲食店ではなかったのですか?

松田
もともとこの場所で父が民芸店を営んでいました。私も一緒に働いていたのですが代替わりのタイミングで民芸店から飲食店に転換しました。

編集部
松田さんは生まれも阿寒なのですか?

松田
白糠で生まれ育ち就職で札幌に出ました。その後阿寒に移り父の民芸店で働き始めました。全国的なアイヌブームも後押しして阿寒にもたくさんの観光客が来ていました。繁忙期には白糠にいる親戚も店を手伝いにきてくれて家族みんなで切り盛りしていました。

編集部
なぜ飲食店をやることになったのですか?

松田
アイヌブームの賑わいも落ち着き、何か新しいことをやらなければと考えるようになりました。当時民芸店の他にライダーハウスや飲食店も経営していて料理のスキルはあったので、思い切って飲食店をやることにしたました。ちょうど店舗も老朽化していたので、いろんなタイミングが重なっていましたね。

編集部
店舗の中には国内各地の民芸品的なものが飾られていますが、これらは旅行者がお土産で置いていかれたものですか?

松田
私は旅行が好きなので、全国各地に旅行した際に現地の工芸品やお土産物を見て周り、気に入って買った物を少しずつ店舗に飾っていたらこんなに増えちゃいました。笑


真ん中の熊の木彫は松田さんのお父さんの作品

編集部
旅行が好きなのですね。いつも旅先ではどのように過ごされているのですか?

松田
地域の歴史的建造物や神社仏閣を見学するのが好きです。長い間アイヌ文化伝承の活動をしてきたので、各地の文化やその文化がどのように伝わってきたのかも気になるので、そのルーツを探るべく旅先の観光地や温泉街を興味深く散策しています。

編集部
町づくりにも興味があるのですか?

松田
そうですね、町づくりにも興味があります。例えば熊本県の黒川温泉って、元気がない時代もあったようなのですが「町全体が一つの宿、通りは廊下、旅館は客室」をコンセプトに、恵まれた自然環境を活かして、昼も夜も温泉街を歩きたくなる仕掛けを作り人気の温泉街へとV字復活をしましたよね。このような町は歩いているだけで色々な発見があって面白いです。

編集部
確かにそのような視点で旅先を歩くだけで、いつもの観光とは違った体験ができそうですね。観光というよりマーケティング調査に出かけているようですね。笑

阿寒アイヌ民族文化保存会とは

編集部
松田さんが会長を務められている「阿寒アイヌ民族文化保存会」はどのような活動をされているのですか?

松田
阿寒アイヌ民族文化保存会は昭和43年12月に発足しました。主な活動としては、アイヌ古式舞踊の伝承・保存活動とともにユーカラ劇を創作、ユネスコ・パリ日本文化祭にて公演し、アイヌ文化を世界に紹介するなど、アイヌ文化の振興・普及活動をしています。

編集部
すでに半世紀以上活動されているのですね。

松田
長く活動していることもあり今まで様々な取組みをやってきましたが、その活動を評価していただき昭和59年には伝承・保存するアイヌ古式舞踊が国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。


【経歴】
昭和51年    ユネスコ・パリ日本文化祭にてユーカラ劇公演
昭和59年    伝承・保存するアイヌ古式舞踊が国の重要無形民俗文化財の指定を受ける
昭和61年    台湾にてアイヌ古式舞踊公演
平成14年    ブラジルにてアイヌ古式舞踊公演
平成15年    ニュージーランドにてアイヌ古式舞踊公演
※その他、古式舞踊・ユーカラ劇を全国各地で公演

編集部
そもそも阿寒アイヌ民族文化保存会はどのような経緯で発足したのですか?

松田
阿寒アイヌコタンは昭和29年に4軒の集落として始まりました。私の父も旭川から木彫師として阿寒にきたのですが、道内各地から阿寒アイヌコタンにアイヌの人達が集まり発展していきました。実は阿寒アイヌ民族文化保存会ができる前から「木彫と踊りの里」と銘打って、阿寒アイヌコタンで暮らすアイヌの人達が、当番制で観光客向けに「アイヌ古式舞踊」を披露していました。そのような経緯もあり、もっと組織的にアイヌ文化伝承が必要だと考え昭和43年に「阿寒アイヌ民族文化保存会」が発足しました。

アイヌ文化伝承に必要なこととは?

編集部
アイヌ文化を伝承するために必要なことは何ですか?

松田
そうですね、大きく分けて2つあると思います。1つ目は、アイヌ文化を伝承する際にはどうしてもアイヌ民族以外の人達との関わりが希薄になりがちなのですが、そうではなくアイヌ文化に興味のある方はどなたでも気軽に伝承活動に参加できる流れを作ることが大切だと思います。

編集部
確かに限定的なコミュニティで活動すると、発想も行動も画一的になっていろんな可能性が縮小しますよね。

松田
阿寒アイヌコタンでもアイヌ民族だけで結束していた時代があったのですが、近年は地域全体が活性化する取り組みが必要だと考え色々実践してきました。

編集部
例えばどのようなことをやられたのですか?

松田
阿寒湖アイヌコタンの「イオマンテの火まつり」というイベントがあります。これは私が企画したイベントなのですが、当時の阿寒湖畔のホテルの支配人会に、私がアイヌ民族として初めて参加して企画提案をしました。今では当たり前になっていますが、アイヌ民族が和人と一緒に何かを企画したり行動を共にすることは無かったので、当時としてはかなり画期的な取り組みだったと思います。もちろん当初は異論反論もたくさんありましたが結果的に冬の阿寒の活性化につながったので今ではやって良かったと思っています。

編集部
2つ目に必要だと思うことはなんですか?

松田
文化伝承のためには後継者を増やすことが必要なのですが、そのためにはアイヌコタンで生活ができる基盤作りが重要だと考えています。生活環境をしっかり整えることで暮らしが続き、文化がしっかり伝わっていく。

編集部
つまり単純にアイヌ文化の紹介を考えるのではなく、地域に雇用も生み出し持続的に暮らしが営める仕組みづくりも大切ということですよね。

松田
みなさんあまりお気づきではないかもしれないですが、北海道にアイヌコタンは数箇所ありますが、実はコタンの中に住み、仕事もでき、生活拠点として成り立っている場所は阿寒アイヌコタンしかありません。

編集部
確かにそうですね。

松田
ここで「生活できる」ことがとても大切だと思っています。しかし今後アイヌ文化を伝承していくためには、阿寒アイヌコタンも今以上に生活基盤を豊かにして、地域全体を活性化させる必要があります。

編集部
そのために具体的に取り組まれていることはありますか?

松田
このエリアは観光客が集まってくる場所なので、例えばエリアを一つの「公園」と捉えて、チセを点在させて体験型のコンテンツを増やすことで、昼でも夜でも人が滞留できる場所になります。エリア全体をもっと活性化することができれば自然と阿寒アイヌコタンの活性化にも繋がりますので、現在は国への働きかけも含めて色々動いています。

旅人としての視点


編集部
松田さんが旅行の際に、町に人が集まる仕掛け作りとか地域活性化に向けた各地の取り組み事例を見聞されている経験が現在のアイヌ文化の伝承活動にとても生かされていますよね。

松田
旅先で「これを見たい!」とか「ワクワクしたい!」など何かしら期待することってありますよね。その感覚や視点が地域活性化のアイデアを考える際にはとても大切だと思います。今まで地域のイベントや集客企画をたくさん考えてきましたが、いつもそのような客観的な視点や発想は大切にしてきました。

編集部
つまり旅人の視点になって、自分だったら「何が見たいか?」「何を期待するか?」を考えるということですよね?

松田
どうしても自分たちがやりたいこと、できることを中心に考えてしまいがちですが、それらの多くは「みんなが求めていること」と必ずしもイコールで結ばれない。自分たちが大切にしたいことを守ることも当然必要なのですが、そればかりではなく状況を俯瞰で捉えて、客観的に「これ面白い?」と自問自答を繰り返すことも大切にしています。単純にこちら側から一方的にアイヌ文化を見せるだけでは人は満足しないですよ。お客様の気持ちになった時に初めて何をすべきかが見えてくる。常にその考え方でアイヌ文化伝承の方法を考えています。

編集部
最後に、松田さんが思うアイヌ文化の素晴らしさを教えてください。

松田
アイヌ民族の特徴として結束力の高さが挙げられると思います。「助け合う心」を大切にしている点もアイヌ文化の良さだと思います。あとは先祖や親を大切にしていることではないでしょうか。先祖や歴史を尊敬して初めて文化って伝わっていくものだと思います。アイヌ文化はそうやって脈々と受け継がれてきました。その思いや考え方もしっかりと伝えていけたらと思います。

編集部
本日はお忙しい中貴重なお話をたくさんありがとうございました。


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