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上杉周大インタビュー

上杉周大インタビュー

2024年12月7日に開催されたワンマンライブ 上杉周大の「ひとり弾きガッタリー」を大盛況で終えたミュージシャン、そしてタレントでもある上杉周大さん。また、北海道での上杉さんの知名度を大きく上げた人気番組「ブギウギ専務」が多くの人に惜しまれながら3月に終了。そんな彼の音楽への情熱、ブギウギ専務での思い出、そしてこれからの歩みを深く掘り下げたいと思います。

みんな弾きガッタリー

12/7の弾き語りワンマンライブ 上杉周大の「ひとり弾きガッタリー」お疲れ様でした。ライブの感想をお聞かせください。

上杉周大 僕はこれまでの人生の中で、沢山の本数のライブをやってきましたが、ステージにただひとり。弾き語りでのワンマンっていうのは今回が初めてだったんですよね。弾き語りのライブとバンドのライブって全くの別物で。スポーツで例えるなら何なら種目が違うぐらい違うんですよ。
この曲をやろうとか、こんなアレンジをしてみようとか、考えてはいたんですけど、当日を迎えるまでどういう雰囲気になるのか自分でも全然見当がつかず。だからドキドキも出来て、とても楽しい空間でしたね。


空間もいつものライブ会場のホールとかじゃなくて、モエレ沼のガラスのピラミッドという特殊な空間、独特な響きでした。

上杉周大 そうですね。響きで言うと確かに反響の鳴りが強かったんで、お客さんにとっても何処に座るかによって聞こえ方が違ったんじゃないかな、と思いますね。また「ひとり弾きガッタリー」というタイトルの様に、「ひとり」というのを意図的に強調してたんですけど、皆さんに一杯コーラスもして頂いて。いざ蓋を開けてみると全然「ひとり」なんかじゃなくて「みんな弾きガッタリー」だったな、と。「独りじゃないぞ!俺!」って。幸せな時間でした。

普段ならバンドメンバーが声を出すパートを、お客さんが声をだしてくれてて、1人じゃなくお客さんと1つの音楽を作ったという風に感じました。

上杉周大 ありがとうございます。本当お客さん、皆さんのお陰ですね。
何ていうんでしょう、あえて言うのもいやらしいですけど、ワンマンに来てくれる。しかも、バンドじゃなくて1人じゃないですか。と言うことは、みんな僕に好意的というか、興味があって来てくれる方が多いと思うんです。これってステージに立つ者の特権だと思うんですが、無敵なんですね、その瞬間って。勘違いであったとしても無敵で最高なんです。やっぱあの感覚があるから、ずっとライブやってるんでしょうね。

確かに支持率100%ですからね

上杉周大 そうなんです、不信任案なんか出ないです(笑)

ダメな自分のことを歌った「OH ROAD」


12/7に配信されたシングル「OH ROAD」ですが、どういった経緯で、どのような思いを込めて作られたんでしょうか?

上杉周大 実を言うと、そもそもは弾き語りで歌うタイミングが増えてきた時期に、アコースティックギターがメインの楽曲を作らなくちゃと思ったのがきっかけでした。
弾き語りが似合う曲って、バンドサウンドほど大きなアレンジというよりは、何だろう、例えばアコースティックギターを弾く姿勢って、こう丸まって淡々と弾くじゃないですか。
そうすると詞世界が自然と内に向いてくるというか。格好つけられない。「OH ROAD」はダメな自分のことを歌っている歌だし。でもそれは、年齢を重ねていく中で感じたことを言葉にしたもので。多分皆さんもそういった部分に共感して頂けるんじゃないかなと。

ちょっと真面目な話をすると、ままならないことってやっぱり沢山あって。例えば、理想の自分からいつまで経っても程遠い自分に気付く時ってどんな人でもあると思うんです。自分って本当情けないなって。でもそんな自分の弱さや格好悪さを自分自身が認めてあげられたら、それって掛け替えのない強さだと思うんです。そんなことも歌えたらと思って作った歌なんですよね。
子供の頃に描いてた理想の自分は、スーパーマンみたいに何でも出来て、頭も良くて、運動神経抜群で、社会人になってもバリバリに頭角を現して、みたいな。理想の自分像っていうのはあると思うんですけど、ある時に「それを目指してるけど、自分はそうなれないかも」っていうありのままの自分を知る時ってあるじゃないですか。
でもそれを知って、自分はそうはなれないから、「ダサい」んじゃなくて。それを認めてからがスタートだと思うんです。年を重ねることっていうのはきっとそういうことで、自分だけの格好良さを知って認めていくことなんじゃないかなって思ってます。でも、自分もそういう考えを持てたのは側にいてくれる人や仲間に教えてもらった訳で。

なるほど。確かに。色々角も取れてくるし。

上杉周大 さっきもラジオの収録で話してたんですけど「来年の目標は?」って結構聞かれるんですよ。「どんな1年にしたいですか」って。
20代ぐらいの時だったら明確にあったんです。10年後、15年後もかなり具体的に想像してた。こういう生活をしていて、こういう活動をしているに決まってるみたいな。
でも年を重ねるにつれてそれがぼやけてきて。10年後どうなっていたいかって聞かれた時に、今は具体的に想像出来ない自分がいて、それってカッコ悪いことだなって一時期は思ってたんですよ。
何でかなって考えた時に、20代の時は絶対「こうじゃなくちゃいけない」とか、10年後は絶対「こうならなくちゃいけない」って思ってたんですけど、年を重ねたことで許せることが多くなってきてるのが関係してると思うんです。おそらく自分の許容量が増えたから「こうじゃなちゃいけない」「こうならなくちゃいけない」が無くなってきて、あの頃一本しかなかった道が今は何十本もあって。だからそれを断定するっていうことがどこかでつまらないなって思うからぼやけるんじゃないかなと思ってて。
大人になって未来が具体的にこうなるんだって言えなくなってる人って結構いるような気がするんですけど、そういうことなんじゃないかなって考えると、大人になるって格好いいなって思うんですよ(笑)
許せることが多くなるのは実際あるだろうなって思います。

ジャケ写が曲とマッチしていてかっこいいですね。あの写真はどこで撮られたんでしょうか?

上杉周大 ジャケ写はですね、許可を取る際に、持ち主の方が恥ずかしいからあまり具体的に言わないで欲しいと言われたので詳しくは言えませんが、北海道某所にある今は使われていないガソリンスタンドです。たまたま友達にバイク乗ってる人がいて、その彼がある時「このバイクかっこいいでしょ」と見せてくれた写真の背景にあのガソリンスタンドが写っていたんです。

素敵な場所だなと思って場所を教えて頂きました。「OH ROAD」にとってもマッチするなと。

あのジャケ写は個人的にとても好きで、そこに自分も行きたいなと思える素敵なスポットですね。

上杉周大 すっごい雰囲気いいですよね。

作曲はシャワーを浴びながら

曲を作る時はメロディーから出てくるのか、詩から作るのか、どっちのタイプですか?

上杉周大 圧倒的にメロディー先行が多いですね。
でも詩からのもあれば、同時っていうのもあります。同時っていうのは何か不思議なんですよね。ララララーってなった時に「ありがと~」ってもう聞こえる時があるんですよ。
その時はもう「ありがと~」の代わりに「よろしく~」に変えても、しっくりこないんですよね。
自分のスタートがもう「ありがと~」って出てるから。そういう時は早いですね、曲が仕上がるのは。

どういう時に曲が思い浮かびますか?

上杉周大 シャワー浴びてる時が多いです。あとトイレとか。
絶対的に一人の時なんだと思うんですよね。家にいてもリビングだとちょっと広いというか。シャワーは絶対誰にも邪魔されない空間。だから濡れた状態で「あ、これだ」って思ったら外に出て、スマホで録音して、みたいなのはありますね。

確かによく聞くのはお風呂入ってる時に何か降って来るっていうのはよく聞きますね。

上杉周大 そうですね。多分気が抜けてるのと誘惑がないからなんじゃないですかね。テレビも無ければ、外を見ることもないし。

結局は好きな音楽をやるのがカッコいい

ミュージシャンで飯を食っていこうと思った何かきっかけというか、転機とかありますか?

上杉周大 そこまでミュージシャンで飯を食べてやるんだってのは最初思ってなかったんですよね。飯を食うかどうかは別として、ミュージシャンで生きていくんだって思ったのは18、19ぐらいですね。
高校3年生の時に札幌市のファクトリーホールでとあるライブを前から2列目で見たんです。その時に激しい曲だったんだけど何でかわかんないけど、涙がボロボロ出てきて。それで、なんだろうこれって思った時に、後ろの人たちはどんな顔してるんだろうなと思って2曲目ぐらいで後ろを振り返ったんです。
そしたら拳を振り上げてる人もいる、笑顔の人もいる、僕みたいに泣いてる人もいる。それを見た時に、そこにあの時何人ぐらいいたのかなぁ…そこに400人いたとしたら400通りの悩みとか嬉しいとか感情があるのを、この音楽はその瞬間、全部を救ってるんだって思って。そこから2曲目以降ずっと後ろを見てたんですよ僕。お客さんを見てステージを見てない(笑)
元々音楽がすごく好きだったので自分もそんな音楽をやれる人間になりたいと思ったのが、18歳の高校3年生のときですね。で、18、19歳とかTHE TON-UP MOTORSを組んだんです。


初めて組んだバンドがTHE TON-UP MOTORS?

上杉周大 そうですね。ちゃんと組んだ初めてのバンドがTHE TON-UP MOTORSです。お遊びで学祭に出たとかはありましたけど。
そこから全部始まったんでしょうね。バカっていう表現はちょっとあれかもしれないですけど、バカで良かったなと思います。音楽のこと以外全く考えてなかったですね。
じゃあそれで飯を食っていくとなると、メジャーデビューか、と。多分僕ぐらいの世代のミュージシャンって当時メジャーデビューする以外で音楽で飯が食える選択肢があまり想像出来なかった世代だと思うんですよ。今みたいに自分で配信してとかそういうものもなかったし、音楽で頂に登るってことはイコール、メジャーデビューなんだって思ってたんです。
でもそれが自分がいざメジャーデビューした頃には時代は変わってきていて、なんならメジャーじゃなくてインディーズでやりたいことやってるのがかっこいいじゃんみたいな。
でも、やっぱり売れてる音楽こそが正しいってことじゃないんだってことには気付いてて。もちろん多くの人に共感を得られたり、そういう音楽はとても素晴らしいものですけど、でもそれはメインストリームで売れてるから良いんじゃなくて、路地裏にも格好いい音楽は沢山あるし、音楽に正解はないじゃないですか。
改めて、好きな音楽やろうと思いましたね。だから今でも音楽で飯を食うってのは最重要としてないんです。もちろんそれは、ありがたいことにテレビのお仕事とか、沢山の方に助けて頂いて、演者として他のお仕事ももらえる人生を送らせてもらえてるからこそ言える贅沢な言葉だということも自覚してます。

笑いあり、涙あり、熊ありのブギウギ専務

「ブギウギ専務」が3月に終了しましたが、ブギウギ専務で今一番思い出に残ってることってなんですか?

上杉周大 思い出があまりにも多すぎるから、一番を選ぶのはさすがに難しいですね。
そうだなぁ…やっぱり企画として「ブギウギ奥の細道」は、忘れられないですよね。
本当にお店も何もないところって食事が取れないんですよ。これわかります?寒い冬の日にトンネルに入れば抜けるまで何キロもある様な状況。途中でお腹が減って「そう言えば朝に買ったスニッカーズがあったんだ」と思って、状況も状況だったんで、特別にスニッカーズを食べるのを許してもらったんです。意気揚々とトンネルの中でスニッカーズ噛んだら、歯折れるかっちゅ~ぐらい硬いんです(笑)食べれないこれ!ってなって手で握って何とか溶かすけど、中のキャラメルのやつがいつまで経っても硬いんです。舐めるしかないという。それが日常でした。

あと、場所はどこだったかな…すごくお腹減ってた時に歩いてたらそこで生活されてる方でしょうね。「何やってんの?」って声かけてくださって「かくかくしかじかで...何も食べてないんです」って説明したら「そりゃ大変でしょう」っていうので、おにぎり握ってくださったんです。
色んな企画で色んな物を食べさせて頂きましたけど、あのおにぎりが一番美味しかった。とことん腹減ってたのもあると思うんですけど。
海見ながら防波堤に腰かけて食べたおにぎり。思い出のおにぎりです。とんでもなく美味しかった。どんだけ高いコース料理出されても、あのお母さんのおにぎりに勝さるものはないですね。
これ別に格好つけてるんじゃなくて、優しさとか人情の味がして。本当に暖かかったんです。感謝で一杯でした。人間は結局誰かに生かさせてもらってるんですよ(笑)

なかなか普通の生活でそういう体験ないですからね。

上杉周大 初めてお会いした方が、わざわざお家の台所まで戻って、素性もよくわからない困ってる我々のために優しさで握ってくれたおにぎりですよ。本当に美味しかった。

「過酷」でいうと、どんな思い出がありますか

上杉周大 そうですね…過酷というと遭難しかけたことがありますね、雪山で(笑)
あれはブギウギ専務の放送初期の頃なんですけども、なんの企画だったかな~…ポンポン山だったかな。思い出一杯な分、曖昧ですいません(笑)
当時ディレクターの岸さんと2人で登っていって。山って、夏場はここに尾根があってとか地形が分かるんですけど、冬場に雪が降ってると、歩いてきた足跡が時間と共に埋もれて消えていくんです。更に、冬の山って暗くなるのが早いですから。目的地には着いたんですけど、じゃあ帰ろうってなった時には僕らの足跡も消えて訳わかんなくなっちゃって。携帯も圏外で、本当にテンパっちゃって2人とも。どっちだどっちだって、日没後になんとか生還して、今だったらあれ流せないんじゃないかな(笑)
本当に怖かったですね。ここで朝まで待つなんか考えたくもない。何とかして降りるしかないなっていう。山奥だし、街の明かりも見えないんですよ。
降りた後もしばらく2人とも言葉にならず、ぜぇ~ぜぇ~言ってたの覚えてます。

九死に一生を得た感じ?

上杉周大 その感じに近いですね。
あ!あれだ、熊もそうですね、あれはもう予期せぬ恐怖ですよね。子供の頃に夜トイレに起きる時に、急に今までに見聞きした怖いお化けの話とか思い出して空間が一気に怖くなるみたいなのあるじゃないですか。熊が横切った後もずっとあの感覚なんですよ。
熊が出てきたときに最初黒い軽自動車が森から飛び出たのかと思いました。人間いざああなると動けないですね。固まっちゃう。

硬直?

上杉周大 硬直です(笑)
ヤフーニュースにもなりましたけど、実際の報道ニュース見ると、不謹慎だなって思うけど、俺ちょっと笑ってるんですよ、ヘラヘラ。人間怖すぎるとそうなるんだなって。ヘラヘラしちゃうんですよ、怖すぎて。
もうその時はみんな気が動転しちゃってて、熊がバーって横切ってザザザって茂みに隠れていったんですが、その茂みからスロープみたいな道路につながる道があったんですよ。もしかしたらそのスロープから熊が戻ってくるかもしれない。その時に高橋カメラマンが腰に付けてた熊スプレーを構えてくださって、その間にディレクターさんが何かあった時のために付いてきてた機材車をその場に呼んで、機材車に自転車を積んで戻ろうってなったんですけど。よく考えたらその場で機材車に自転車積んでもちゃもちゃしてる意味がわかんないですよね。
とりあえず機材車に避難して、自転車を置いてでもその場を離れた方がいいんですよ。でも誰もそのことに気付かない。途中で誰かがやっと気づいて「ここでやることじゃない!ここでやることじゃない!まず離れなきゃ!」って。ディレクターさんも「本当だ!そうですね!そうですね!」「車に乗り込め、乗り込めー!」ってなって、「高橋さんもういいから、スプレーもういいから!」って。ちなみに高橋さんをよく見たら高橋さん、熊スプレー自分向きに構えてたんですよ(笑)
それぐらい気が動転してて、その場では笑えない。で、後で車に乗ってその場から離れた時に「高橋さんスプレー自分向きじゃねーかそれ!」「あれ?逆向きだったな」でホッとしたんでしょうね。そのことで随分笑ってた。「良かった。本当良かったな。」ってまさに緊張と緩和じゃないですけど、みんな笑顔でしたもん。

その時のダイノジの大地さんはどうでしたか?

上杉周大 すぐ自転車から降りて逃げ出そうとしてましたね(笑)一番ダメな行動だって知ってるのに。しかも僕らの自転車は二人乗りなので、一人いなくなると動力が半分になるんですよ。係長もやっぱり焦っちゃって「どーしよー!どーしよー!」って(笑)「あんたは信用ならねぇな、いざ何かあった時に俺を置いて逃げるんだ」「違う違う!動転してた」って。でもそれもやっぱり車でその場所を離れた後になって、ずっとみんなで笑ってました(笑)

本当にあんな過酷な企画を長いことやっていたなぁと思います。

上杉周大 そうですね。今の時代だとやりにくい企画も多いと思いますね。あの時代だから出来たものもあるでしょうし。今でこそブギウギ専務の話って「あんな変な番組~」とか僕もいじったりとかしますけど、真面目なこと言うとブギウギ専務がなければ今の自分は無いと思いますし、本当にかけがえのない番組です。大切な宝物です。自分にとってはずっと大事な番組です。


ブギウギ専務

未経験のジャンルでの挑戦

4月からSTVの「どさんこWEEKEND(ウィーケン)」にレギュラー出演が決まりましたが、情報番組ということで、今まであまり関わってこなかったジャンルですが。

上杉周大 僕が番組に加わることの意味はもちろん、自分がいま何を求められているか、それはスタッフさんサイドにとっても視聴者さんにとっても考えてます。なのでそういう意味では未だに試行錯誤というか「あそこもっとあ~した方が良かったかな」とか「これじゃただいるだけだよな」とかこんなじゃ申し訳ないって反省することは多々あります(笑)
でも別に極論笑いがなくてもいい番組なんですよね。まぁ僕、そもそも芸人さんじゃないので笑いとかをそんな出せるかって言うと、それはまた別の話なんですけど。何か自分なりに違和感というか素人臭さって言うんですかね。トライは毎回してます。

トライしてるのはすごく伝わってきてて、いつも何かチャレンジしよう、何かしてやろうっていう気持ちは伝わってきます。スベるのも良くて、定期的にスベってほしいぐらいです(笑)

上杉周大 スベるのは得意です(笑)でもそう言ってくれたら、すごくありがたい言葉です。
僕はテレビの世界でバラエティしかやってこなかったのと、ブギウギ専務の場合は本当に台本がなく、ご自由にどうぞっていうスタイルで。全く違うんです。
ウィーケンは台本があるので、極端な話、コメントで言うべき言葉は目を落とせばそこに書いてある。でも、だからこそきっと期待されているのは、要点を押さえた上で、何か違うこと仕掛けてみたり。それが楽しく伝われば一番だと思うんです。思いつかなければ、そのまま何も出来ずに終わっちゃう。それはやっぱりあまりにもスタッフさんにも申し訳なくて。尺のない中で少しでも変なこと言ってみたり。打率は低いですけど(笑)

全く別物なので自分も今勉強中です。それがまた楽しいんですよね。でも同時にそこに慣れすぎて上手にできる上杉周大っていうのはまた視聴者さん的にちょっと違うんだろうなとも思ってます。


出典:STV「どさんこWEEKEND」


どさんこWEEKEND

これからの上杉周大

では最後に、若い頃は10年後、15年後こうなりたいっていうのが見えてたって仰ってましたが、あえて今10年後、15年後こうなりたいというのは何ですか?

上杉周大 そうですね。音楽はもちろん、タレント活動を頑張りたいと思ってます。だけど全然思い描いてないような自分になってても面白いなとも思いますよね。
音楽は自分のやりたいことをやるんだと思ってるんですけど、ブギウギ専務も始まりは自分が望んでというよりは、有難いことにいつの間にかそういう打席に呼んで頂いてバットを振回してたみたいな。
今のどさんこWEEKENDも始まりはそうなんです。そんな期待を投げてもらって「上杉さんどうぞ」っていう時にいつでもがむしゃらにバットをブンブン振れる人間でありたいです。
期待に応えれる人間でありたい。その先で皆さんがちょっとでも喜んでくれたら。18の頃にライブを見に行った時のままのかもしれませんね。今もやっぱりステージではなくお客さんの方を向いてるんだと思います。おこがましいけど、色んな方の気持ちがちょっとでも楽になったり救われたりっていう、そんな人間でありたい。誰かに憧れて何かになりたかった理想像の自分じゃなく、上杉周大としてそういう人間でいたいです。

プロフィール

上杉周大

上杉周大

1982年2月11日生まれ。北海道札幌市出身。
バンドTHE TON-UP MOTORS(現在活動休止中)のボーカル。2013年にVAPレコードよりTHE TON-UP MOTORSでメジャーデビュー。翌年には「上杉周大」名義でソロとしてもメジャーデビューを果たし、現在も北海道日本ハムファイターズの公式球団歌『ファイターズ讃歌』の三代目歌唱を担当している。
同年2014年4月からは故郷北海道へ感謝を込め、バンドで北海道全179市町村をおよそ9ヶ月で巡るという前人未到の「北海道179市町村ツアー」を敢行し、動員数は延べ35,000人以上、ツアーファイナルのZEPP SAPPOROはSOLD OUT。合計219本のライブを行った。
また、2007年からSTV札幌テレビ放送制作『ブギウギ専務』のメインパーソナリティーを約17年間務め、ミュージシャンであると同時に北海道で絶大な知名度を誇るタレントでもある。
現在は毎週土曜日放送中のSTVの情報バラエティ番組「どさんこWEEKEND」へのレギュラー出演、同じく毎週土曜日STVラジオにて自身の冠番組「サタデーナイトステーション ラジオ上杉」を19:00〜21:00までの2時間担当している。その他にもCM出演やTV番組のナレーター、映画・舞台出演など、多数のメディアに出演中。マルチな顔を持ち現在も音楽を中心に精力的な活動を行っている。


この記事を書いたモウラー

編集部

ニャかむら

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